天国への階段(Stairway to Heaven)

もしも世界が変えられるなら(Change the World) 

其の一

 四月一日午後八時の東京メトロ千代田線大手町駅は、入社式や懇親会を終えた新入社員で溢れていた。富樫(とがし)圭(けい)吾(ご)もそのうちの一人だ。もちろん、そうでないサラリーマンもそこここに存在している。しかし型崩れしていないピカピカのスーツと、希望に満ちたキラキラした瞳は誰おも凌駕してしまう。特に圭吾は、背が高く剣道で鍛え上げた体はたくましく、ちょっと固い言い方だが「眉目秀麗」という言葉がぴったりだ。だからキラキラしている新入社員たちの中でも一際きらめいていて、さっきから脇を通る女性たちが眩しそうに一瞬立ち止まって圭吾を見つめていた。

 しかし圭吾は、まったくそういうことー自分のルックスが抜群に良く、女性の憧れの的であることーには興味が無い。圭吾とて健康な若い男性なのだから人並みに女性を好ましく思うことはある。しかし、今日、この瞬間は、そういうことは取るに足らないことなのだ。やっと自分のやりたいことがやれるスタート地点に、激しい就職活動という戦争を勝ち抜いて、立つことができた、そんなめでたい日だ。ここにいる新入社員達は、いわゆる勝ち組と呼ばれる人間たちなのだろうと圭吾は思っていた。でも、人間をそういう風に色分けするのは好きじゃない。たまたま超一流と呼ばれる商社に入社しただけだ。彼の父が、いわゆる後進国に安くて信頼のできる医療品を提供しようと日夜努力している姿に憧れて、商社を目指した。だから一流商社に入ったが出世しようなどという気持ちは、圭吾には全くなかった。ただ、こんなに医学の発達した時代に、狂犬病で亡くなる人もいるのだ。日本ではここ五十年ほど発症例すら無いと言うのに。父の勤務先は中堅の医療品専門商社で、父は、恵まれない後進国の人の為にまさに身を粉にして働いている。そんな父を尊敬していた。父のやっていることは、何億円もポンと寄付できる世界の富豪たちに比べたら、そんなにたいしたことではないかもしれない。でも父は自分のできることで確実に「世界をより良い場所へと変えている」。自分もそんなことがしたい。圭吾の心の中にはそういう理想があるのだ。

 圭吾は、人々が北千住方面行の地下鉄の線路側を避けて、ホームの内側にじりじりと寄っていっていることに気が付いた。何だろうと思って人々が流動している辺りを見てみると、そこには酩酊している、ボロボロの服を着た男の姿があった。ホームレスなのだろうか? 右手に日本酒のワンカップ、左手には使い古してそこここが破れている紙袋を持っている。よく地下鉄に乗る金銭を持っていたなあ、と圭吾は思った。ワンカップを買えるくらいだから今日は、拾った物でも案外高く売れたのではないか、と思い直した。地下鉄の進行状況をしめす電光掲示板を見ると、圭吾が乗る我孫子方面行きの車両が今にも大手町駅に着こうとしているところだった。車両が近づいてくる音を追い越すように警笛も聞こえてきた。

 その時だった。若い女性の「キャー」と叫ぶ声が聞こえた。その女性を見、女性の視線を追うと、さっきのホームレスらしき男性が、バランスを崩してホームに落ちていく瞬間だった。圭吾にはそれが、スローモーションがかかった、コマ送りの映像のように見えた。圭吾は反射的に、ホームレスらしき男性の方へ飛び出した。何とかホームからまだ落ちていない方の手を掴んだ。しかし男性の身体はもうほとんどがプラットホームの下にあり、圭吾もバランスを崩して線路の上に落ちていく。何も考える間もなく、圭吾が最期に聴いたのは、けたたましく鳴らされている地下鉄車両の警笛だった。

< to be continued>



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Ran

天国への階段 Stairway to Heaven

天国へ行ける人、地獄へ落ちる人、天国へすぐには行けないけれどある仕事をすれば天国へ行ける天使と呼ばれる人たち……。その違いは何なのか。心温まるヒューマンストーリーです。
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