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私のことについて。でこぼこより真っ平らな道を歩きたい。


娘は気分の不沈が激しく、何か少しでも嫌なことがあるとすぐ『死ぬ』という。
死にたくなるほどの気分ということなんだろう。

そんなことで死んでたら一日に5、6回(それ以上⁉️)死なないといけなさそうだ。それぐらい私から見ると些細なことで娘は死にたくなってる。
(気持ちを表すためだけの単語だろうという気もする)。

でもこの気分の脆さは私から受け継いでしまったものかもしれない。

仕事でもプライベートでもキラキラ✨するようなことがあって気持ちが満たされていれば、当然生きてるのも楽しいわけで、死にたくなるようなこともない。

『死』は限りなく自分から遠いところにある。

逆に何かしんどいことや辛いことがあると、自分が何のために生きているのかわからなくなる。
死にたくなるほどの出来事じゃないのに、何か些細なことで気分が沈み深淵な沼に落ちたような気になるのだ。

どんよりと濁った動きのない、光も届かない暗くて冷たい水の中。そこでは足掻く気力すらない。

20代の頃、死はかなり私の近くにあったように思う。今思えばそれはカサンドラ症候群と言われるものだったのだけど、当時はとにかく息をするのも面倒だった。
本当に呼吸数が減るものだから、一回あたりの吸気や呼気が増える。簡単にいうと溜息ばかりついていた。しかも無意識のうちに。
(溜息が多いのは人に指摘されて気付いた)

何をするにもしんどくてしんどくて辛かったけど、死を身近に手繰り寄せることで自分の『生』を感じていたんだと思う。

その頃に比べると今の私の生活は充実している。
充実しているというより、楽しんでやれることが増えているというほうが正確か。

あの頃は昼間病院の仕事をし、資格を取るために夜間部の専門学校に通った。夜10時を回って帰宅しそれから夕飯の支度(夫の帰宅はいつも11時を回っていた)。掃除もした。洗濯もした。
家事は全て私の仕事だった。
自分の意思で夜間の学校に通い、結婚もしていて家事などやることは毎日たくさんあったから、他人から見れば充実していたと言えなくもないだろう。

でもあの頃の私は充実していたとは言えない。
好きな人と一緒に生活してて幸せだったはずなのに、夫から感謝もされず理解もされず、生きてることがしんどかった。

さて。今。

子供に関わる時間も減って代わりに自由な時間を手に入れた。しんどい思いをしながら学校に通って手に入れた資格でしている仕事も相変わらず好きだ。家事は自分の生活を整えるためだけにすればいい。
再開したピアノに思った以上にハマり、ライフワークとして続けていきたいと思っている。

読みたい本もある。

観たい映画もある。

まだまだやりたいことがいっぱいある‼️

あぁ、でもなんだろう。
私の周りの人達、仲良くしてきてた人達の誰とも繋がれていない感覚。
みんなそれぞれ自分のコミュニティを持っていて、そこに私はいない。
ほんの少し掠りはするけど、決して交わらない。

いわゆる『孤独』なんだね、私。

実生活の中で話す人がいる。
同僚だったり患者さんだったり。
LINEでのやり取りも話したと言える類のものかもしれない。

一日中誰とも話さず、一人で部屋にいるわけではない(そういう日もある。特に仕事が休みの日)。

過去を振り返るといろいろな山とか谷があった。
何が山で何が谷なのかわからないけど。

人生が劇的なのは山とか谷がたくさんあるからとかよく聞くし、なるほど絶望的な状況から脱した後の人生は輝いて見えるだろうし何にでも感謝できるものだと思う。

でも私はできれば平坦な道を歩いていたい。

約3年前激烈な痛みで発症した膝の関節炎のせいで、5ヶ月近く寝たきりに近い生活を送った。もちろん仕事は休職。
このまま仕事が続けられるだろうか、体を使わずに出来そうなデスクワークに転職したほうがいいのかも、と先の見えない不安にいつも付き纏われた。

何とか復職をしたけれど、身体には随分無理をさせた。階段の上り下りができるようになってから復職したかったけれど、その階段の上り下りが3年経った今でも発症前のようには出来ない。

今の私に山は登れないし、谷も下れない。
平坦な道を歩くことは出来るようになった。

人生もこれと同じようなものじゃないだろうか。

出来れば痛い思いや苦しい思いはしたくない。それが人生のスパイスになるとしても、そんなスパイス無しでもウキウキとした楽しい人生を送れる人は送れる。

激痛に呻き、立てなくなったあの頃があったから、今歩いてることが輝いて思えるのか?

いやいや。

激痛は経験したくなかったし、今だって走ったり跳んだりしたい。歩けるようになって良かったとは思うけど、できれば前と同じように痛みなく階段を登ったり降りたりもしたい。

膝のことは例え話。

私は山も谷もいらない。
これからはできるだけ自分が歩ける平坦な道を歩きたい。










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