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今日のなんでもない日記

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放っておいたら、しゃぼん玉のようにいつか頭から消えてしまいそうな、だけれどどこかに残しておきたいような、ふとした日常のひとりごと。昔のmixiのような、とりとめのない文章を認める… もっと読む
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2019年4月の記事一覧

「ハローグッバイ」さよなら、ありがとう、おやすみまたね。

私という人間は、私自身にも全くよくわからないもので。 やれ今日は雨が降っているからだの、靴下のうさぎマークがお気に入りでないだの、あれこれ理由をつけては出席と欠席を散々繰り返していた高校の卒業式で「みんなと過ごした3年間全部が宝物です…」だなんて使い古された台詞を号泣しながら吐いていたりする人間だ。 わんわん泣きながら口から滑り落ちてゆくそんな台詞を耳が受け止め、脳みそに届く頃には「おいおい、お前は何言ってんだ」と腹を抱えてゲラゲラ笑うもう1人のわたしが誕生する。 寂しい

底のないプールに放り込まれるこの感覚が「虚無感」と言うのであれば

こいつがくると何もできない。ひたすらにどこまでも落ちて行く。それは急スピードではなく、緩やかに、ゆっくり、まるでその味を舌の上でじっくり吟味するように。徐々に呼吸ができなくなって溺れて行く感覚で、もうこれがやってくるとどうしようもない。 ああ、やって来るな。 とは感覚で分かるものの、どんな武器を構えていようと、片手で簡単に折られ、鷲掴みにされ、気づけばぶくぶくともう沈んでいる最中だったりする。 これが”虚無感”という名前なのか定かではない。けれど、現在わたしはこいつにまん

世紀末を越えたあたりで僕ら、終わるべきだった

普段BGMがわりにランダムで流しているYoutubeの歌詞がそこだけ音量が上がったかのように鮮明に耳に飛び込んできた。 ”東京カランコロン ハロー(終わり)” と画面には表示されていて、頭にはうさぎのようにコミカルに飛び回る女の子と、いつもその周りでニコニコと笑っている男の子たちが浮かぶ。あの人たち、こんな曲も歌うのか、ともう一度最初からリピートする。 じんわり頭の先から喉を通り、足の先にじーんと広がっていく。曲もご飯と一緒で、必要な時に必要なものが入ってくると、体

約20万かかったけどアーユルヴェーダを受けてよかったなあって思っているのでレポート(スリランカ / 8泊9日)

綺麗先月スリランカに11日間滞在して、そのうち8日間、アーユルヴェーダを受けてきました。 「アーユルヴェーダを受けた」と人に言うと大体「なにそれ?」と返ってくるくらいの認知度(だと思っている)のだけれど、わたしも同じくスリランカに行く前までは圧倒的「なにそれ?」勢でした。 アーユルヴェーダを受け終わってから今日で3週間くらい経過しました。結果受けて本当に良かったなあ、と思っているので、自分の忘却録も兼ねてここに記録しておきたいと思います。 アーユルヴェーダは「マッサージの

「THURSDAY'S YOUTH」という私にとって奇跡のようなバンドについて少し語らせていただいてもよろしいか【彼らの決して押し付けがましくない共感の雨に私たちはみんな救われてる】

20歳で自分は死ぬのだと思っていた。 そこにはなんの根拠もなく、だけれど、物心ついた頃からまるで当たり前のように、息を吐いたら吸うように、目が乾いたら瞬きするように。そんな自然の動作と大差ない形でそれは私の隣に横たわっていた。 だから20歳の冬、しんと冷える体を溶かすために温まった部屋で、両親の笑顔と一緒に誕生日を迎えた時、何故この命が終わらず続いていくのかが不思議でたまらず、顔の上にはにっこり微笑みを貼り付け、心で絶望していた。 でも30年間生きてきて、そんな事を