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「THURSDAY'S YOUTH」という私にとって奇跡のようなバンドについて少し語らせていただいてもよろしいか【彼らの決して押し付けがましくない共感の雨に私たちはみんな救われてる】

20歳で自分は死ぬのだと思っていた。

そこにはなんの根拠もなく、だけれど、物心ついた頃からまるで当たり前のように、息を吐いたら吸うように、目が乾いたら瞬きするように。そんな自然の動作と大差ない形でそれは私の隣に横たわっていた。

だから20歳の冬、しんと冷える体を溶かすために温まった部屋で、両親の笑顔と一緒に誕生日を迎えた時、何故この命が終わらず続いていくのかが不思議でたまらず、顔の上にはにっこり微笑みを貼り付け、心で絶望していた。

でも30年間生きてきて、そんな事をこうして吐き出したのは記憶する限りで、今日が初めてなのである。
だって私のこの感情は人間のルールにはめた場合、どう考えても「不謹慎」であり「親不孝」であり「タブー」だからだ。

明日が来ないなんて考えたこともなければ、腐るほどやることもあって、命がけで争うこともない。
戦争もない。
飢えることもない。
五体満足に生まれ、
大きな病気もなく、
友達にも両親にも恵まれ、
未来への可能性だってある。

悩み事といえばもっぱら
「明日は何を食べようか」だとか
「あの人は私のことをどうしたら好きになってくれるだろうか」だとか
「今朝ほっぺたに出来てしまったニキビに、何の薬を塗ればいいのやら」だとかで、ひたすらニキビに悪態をつくことくらいなのだ。

なのに私はいつも心のどこかで、
今すぐにこの命の糸がぷつりと途切れ、見えなくなるのを待っていた。
 

 

雨の種類に“私雨(わたくしあめ)”という種類の、ある限られた地域だけに降るにわか雨がある。下は晴れているのに山の上にだけ降り、まるで長らく晴れの日が続いてしまい、少しずつ元気を無くしていく植物たちの為だけにそっと特別に降り注ぐような、優しい静かな雨。
決して多すぎず、でも少なすぎず。甘えさせもせず、でも邪険にもせず。
喉を潤す程度に、そっと、そっと降る雨。
「THURSDAY'S YOUTH」というバンドは私にとってまさに、私雨だった。


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24歳の春。予定外の人生の延長に戸惑いながら、私は二度目の専門学校に通っていた。ひたすらにのろのろと、次の一歩だけを考え、俯きがちに歩いてきた20年間を取り戻そうと、必死に何者かにならねばと踠く。
だけれど、果たして自分は何を積み上げていいのか。
「将来」なんて真面目に考えたこともなかった私にとって、キラキラと未来に目を輝かせている友人たちは憎らしく、何も持たない自分は社会からはじき出された、異物だと思っていた。
そんな自分の髪を引っ張り上げ、無理矢理に前を向かなくてはいけない作業は心を絶えずかき乱し、時折スイッチが切れたのか、はたまた手足と頭の信号がうまく伝達しなくなってしまったのか。とぷとぷと心になだれ込んでくる「死」への期待と「生きること」への絶望に、成す術もなくひとり薄暗い部屋で溺れかけていた。

泣きたい訳でもなく、誰かに慰めて欲しい訳でもない。
ああ、浮上せねばと思うことすらも面倒くさい。
それでも何か掴まなければ。
死ねなかった私はこの世界と戦わなければならない。

誰からの、どんな言葉も欲していなかった私に、本当は欲しい言葉を知らなかっただけで、それがきちんと存在していたのだと教えてくれたのは、何気なく手元の一番手近なチャンネルを選んで付けたTVの中で歌う「THURSDAY'S YOUTH」の前身バンド「Suck a Stew Dry」だった。(※1)

細いオレンジの光が薄く入る西向きの部屋で、呼吸をすることも忘れ、わたしを作りあげる全細胞たちが彼らから紡ぎ出される言葉に集中していた。
それは自分が何年も言語化することができなかった、あの不思議な感覚だった。
生と死のプール底に沈んでいた私の心を浮上させるでもなく、追い打ちをかけるでもなく。静かに、本当に静かに。横にぴたりと寄り添いながら、まあるく透明な、何かに包んでくれた。

彼らから紡ぎだされる言葉のほとんどは驚くほどに後ろ向きで、当時わたしが「タブー」として飲み込んできた言葉を、美しい声と音でさらりと世の中に解き放っていた。

あえてありきたりな言葉を並べるのであれば、私は涙が止まらなかった。
でもそれは、生きることへの絶望でも、死への強烈な憧れでも、誰かへの憎しみとも違っていて。心の中に溜まった、名前も持たない何かが少しずつ溶けて溢れ出すような、そんな涙なのだ。

彼らが隣で歌ってくれていたら。
私の心の代弁者として、歌を作り続けてくれるのなら。
もしかしたら、また心の底の海に沈んでしまっても。

「大丈夫かもしれない」
あの瞬間が、きっと私の二度目の人生の始まりだったのだと、確信している。

 


生きていると、つい背伸びをしてしまう時がある。
つま先が痛いのに、無理をしてしまう時がある。
最愛の恋人にふられ、傷つき、それでも誰にも泣きつけない時がある。
「恵まれている」という言葉の暴力に、心が殺されてしまう時がある。
名前もわからない恐怖に包まれて、呼吸ができなくなる時がある。
自分だけが宇宙人になってしまったような、誰にも気持ちをわかってもらえない時がある。
何者かにならなければ、生きている価値などないと必死になってしまう時がある。
「死にたい」と、思ってしまう時がある。

そんな生きるのが決して上手ではない、不器用な私たちが手を伸ばす選択肢の中に「THURSDAY'S YOUTH」というバンドが増えたら良い、と思っている。 

 

-   


私も30歳になり、夢だった異国で暮らす今も、時折あのプールに放り込まれてしまう。
体も学習したのか、以前のように「動けなくなる」ことはなくなったものの、やはりプツリと糸が切れ、全てを遮断してしまう。
そんな時はヘッドフォンを耳に当て、THURSDAY'S YOUTHの2ndアルバム「Anachronism Pt.1」(※2)に手を伸ばす。

「良い曲か」
と言われると、正直イエスとは言いにくい。
だって彼らは私が20歳まで言葉にできなかった感情たちを、さらりさらりと綺麗な歌詞に乗せ、世の中に溶かしていくのだ。万人が心地よい訳が無い。

それでも。
心の底で、身動きが取れなくなってしまったなら。
彼らの押し付けがましくはない、透明な共感という名の私雨に、身を委ねてみても良いのではないか。

今日も彼らの歌声が、誰かの心にそっと寄り添いますように。

- 古性のち

※1: Suck a Stew Dry: THURSDAY'S YOUTHの前身バンド。2016年12月に活動休止。現在THURSDAY'S YOUTHとして復活。
※2: THURSDAY'S YOUTHのセカンドアルバム「Anachronism Pt.1」。全7曲。お気に入りの1曲は“なかまはずれ”


- 関連リンク

Anachronism Pt.1


THURSDAY'S YOUTH


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- 追記
何年も前の話になるけれど、相当に声の大きい音楽ブロガーが「このバンドの良さがわからない」と記事を書いたことがあった。当時、悔しくてたまらなかった。「好き」をきちんと言語化できなかったことにだ。
これが、あの記事へのアンサーになったら良い。
・・・なるかな?相当に私情がはさまっているので、もしかしたら、ならないかもしれない。

それでもいい。一人でもいい。
こうして書かせてくださり、ありがとうございました。

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- 関連note


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