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浅縹と微睡(あさはなだとまどろみ)

これは現在販売中の青の写真シリーズ「浅縹と微睡」の裏側の世界のショートエッセイです。ぜひ作品と照らし合わせながら楽しんでいただけたら幸いです(作品リンクはエッセイの終着点からどうぞ)

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「微睡む」という言葉が好きだ。
どこが好きかを聞かれると、具体的にこれ!と断定できるものは何ひとつ無いのだけれど、薄紫色に染まる空や、綻び始めた花の濡れた優しい花弁のような、そんな優しい時間の並列に並んでいるのが ”微睡む” だと私は思っている。
うとうとと眠る。 うつらうつらする。
地球上にはきっと、この時間を持つのが難しいひとたちが大勢いるはずだ。だからこそこんな風に、遠い土地のベランダで、お気に入りの本を開き、流れるような音楽を耳に捉えながら「微睡む」を自由自在に手にできる私は、恵まれているのだ。例えこれが、束の間の幸せだったとしても。

ふと懐かしい匂いが漂ってきた気がして目をあげると、小さな柵の向こう側に雄大に広がる山々にポツポツと、雨が降ってきていた。

「この雨の匂いは "ペトリコール" って言うんだよ。植物の中に蓄積した油と雨が混ざり合って、大気中に広がるからこの独特な匂いがするんだって」

耳元で囁かれ、そっと目をつぶる。ポツポツとリズミカルに降り出した雨は徐々に勢いを増し、サーッという音に変わっていく。その音は一瞬ざわついた心の何かを流していくようで、私は自分の頬をぺちり、と弱々しい力で叩いて加勢した。

立ち上がり、思いっきり深呼吸をしてみる。例のペトリコールが体の隅々にまで浸透して、私のリラックスは最高潮に達する。

雨の音と、匂いと、お気に入りの本に、飲みかけの珈琲。
好きな音楽をかけて、ちいさなベランダで、ひとり。
ふたりか。いや。1.5人かもしれない。正確になんとカウントするのが正しいのか、わからないなあ。ねえ。

なんて美しいのだろう 自然が生み出す音楽は。
なんて静かなんだろう 雨が連れてくる時間は。
なんて哀しく切ないのだろう 微睡むは。

山々が青々しく光りを放ち始めた頃、ぐんっと誰かに引っ張り上げられるような感覚があり、足下がふわりと地面を離れた。
一瞬、誰かの視線を感じた気がして振り向くと、もういい加減新調すれば良いのに。いや、気に入っているんだよ。と何度も言葉を投げ合いっこした黒縁眼鏡の男性が立っていて、ああ、やっぱりいたのね。そしてまだあの眼鏡をかけているのね、だなんて思って笑ってしまった。

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気づけば、そこはいつもの見慣れたベッドの上で、部屋にはグレーブルーの光が差し込んでいた。読みかけの本はベッドの下に閉じられた形で滑り落ちていて、どこまで読んだのか、もうわからない。栞でも挟んでおけばよかった。

あの人、今もまだあの眼鏡。でも、やっぱり似合ってたなあ。
とたん、体の真ん中あたりに鉛が落ちてきたように息苦しくなる。
その重さから逃れるように外に目をやると、雨が世界を浅縹色に染め上げていた。

微睡は哀しさと優しさと、懐かしさを連れてくる。
例えそれが、束の間の幸せだったとしても。
私たちは、恵まれているのだ。


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