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シンパシーというか直感と言うかね

仕事柄たくさんの「初めまして」の人に出会う。
写真関係もそうだし私はちょろちょろ出歩くことが好きなので、
お店の人だとか、町のおじいちゃんだとか、お友達のお友達だとか、多分そこらの人よりも出会いの回数は多い気がしている。

その中で「あ、この人は」と思うことがある。

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会って数時間で感じることもあるし、何度か顔を合わせてストンとくることもある。
そういう時、わたしの頭の中にはボックスがいくつか存在して、ちょっと大きめの横のボックスから、なんだか繊細なデザインで作られたような小さなボックスにその人の存在が動く。

そのボックスに入ることをわたしの中では勝手に「今世の殿堂入り」と呼んでいる。まあなんとも偉そうで上から目線で、とんでもない名前なのだけど本当にそういう名前なので仕方ない。

とにかくそのボックスに入った途端、私の中ではその人がきらきらして見える。
その人を構成するものの存在を知りたくなるし、何年会わずとも頭の中にはその人が住んでいて、私の今世の好きなものだとか、行きたい場所だとか、癖だとか、そういうものに住み始める。

今もこうして書きながら頭の中には色んな人の顔が浮かんでいるのだけれど、あの不思議な感覚はなんなのだろう。まあ今持ち合わせている言葉だと「恋」なんだろうな。でもね、違うんだよな〜。この感情に似合う言葉を見つけてあげられたらいいな。

先日、二度目ましての女の子から大事なお婆ちゃんが亡くなった話を聞いた。彼女が今でもお婆ちゃんがそばにいる気がすると言うので、わたしがきっともうお婆ちゃんは生まれ変わって今世どこかで楽しんでいると思うと伝えると、先日海の上で出会った黄色い蝶々の話をしてくれた。

彼女は船の仕事をしているので、先日もちょうど海の上を走っていたら、海の真ん中に黄色の蝶々を見つけたらしい。
咄嗟にこの蝶々はおばあちゃんかもしれない、と思ったのだと。

「それ絶対おばあちゃんでしょう」
「わたしもそう思う」
「黄色い蝶々になって会いにくるなんて粋だね」
「あんなところまで会いにきてくれたの嬉しかったんだよね」
「でも海が好きな系の蝶々に生まれ変わったのかもしれないから、お散歩コースにちょうどよかったかもよ」
「笑」

そんな会話が終わる瞬間、彼女の事がとても愛おしく感じたし、
私の頭の中の「今世の殿堂入りボックス」に、ストンと彼女の姿がはいった気がした。


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トリガーは自分と感覚と近い人なのかな?とも思ったけれど、そうではないこともある。いくら気があって感覚が近くても、大好きでも、ここに入らない人もいる。

最近は殿堂入りボックスに入る人は「もしかしたら前世同じ生き物だったのかな?」と思い始めた。
わたしは今回人間は1回目か2回目だと思っているので、もしかしたら、1個か2個前の人生の時に、すごく近しい存在だったのかもしれない。

そういう人と、こうして短い人生の中で出会えるのは非常に貴重な事だ。


親友でも、知り合いでも、恋人でも、旦那でも、関係性はなんでも良いけれど。

今世そばにいてほしいとおもう。
そしてあわよくば、私も彼女や彼らにとって、そういう存在でいられたらとても幸せなことなのだと思う。






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