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怖かったのは「英語」の存在ではなくて、無防備に壊されていく自尊心だった

急遽、ずっと個別レッスンを担当してくれていた先生がスクールを離れることになったので。下書きに眠ってた記事を引っ張り出して公開します。

2023年11月10日。
英語学習のやり直しをはじめて今日で1年が経った。

毎日1時間のオンライン英会話と2時間のグループレッスン、今年の9月からは加えてPROGRITが始まった。
オンラインで話せない日は誰かを捕まえて必ず最低でも10分以上は英語を話すこと。自然と英語に脳みそが切り替わらないうちはそれを毎日約8ヶ月。

それでも英語力のレベルチェックでもらった判定は初中級者で、まだ初心者にほんの少し毛が生えた程度。
ノンネイティブとなら多少日常の出来事のおしゃべりができて、意思疎通がはかれる。言いたい事は(大分甘めにみて)70%は理解できる。

まだ言いたい事より「言えること」が第一優先で、深い話はむずかしい。
当たり前ながら日本語みたいに話せるレベルに達するのはまだまだ先のことだ。
それでも、この1年で私の暮らしは自分でも驚くほどに大きく変わったと思う。


よく「約7年間いろんな場所を旅をしている」とか「海外で暮らしている」話すと「じゃあ英語ぺらぺらなんでですね」とよく誤解されるのだけど、そんな事はない。
私のようにノマド暮らしをしていても英語を話せない人はたくさんいるし、今の時代東南アジアくらいであれば、日本語一本でも過ごせてしまう。

海外にいるから英語が話せるは間違いで、
英語が話したい人にとって海外は良い練習場になる、が正しいと思う。


練習場が用意されているからといって、練習しなければ何も意味はない。

ちょうど今日から1年前まで、わたしの英語はそれはそれは酷くて、私が話すのを聞いた人には「これで旅や海外暮らしができるなら自信が持てます!」と勇気を与えられるレベルだった。

というか、”英語”というものへの恐怖がものすごかった。
学ぶのも触れるのも喋るのも、ひたすらに怖かったのだ。

旅先ではイエスかノーで答えるのが精一杯だったし、
海外の友達もできないし、何かトラブルが起きたらとことん困る。

もはやレストランではオーダーするのすら嫌で、お店でご飯を食べるのも躊躇することもあった。
それくらいわたしは「英語」というスキルに対してネガティブだった。

恐怖の原因がわからないと、正しい処方箋もわからない

27歳で英語をやり直そう!と決めてフィリピンに1ヶ月だけ留学したことがある。
毎日7時間も英語を勉強して、その後世界一周にも出た。

けれども世界一周中、その留学が活かせたことはほぼなくて、変わらずわたしは英語のことを思うとねっとりと嫌な気持ちになって、げんなりさせた。

今思えばやりようはいくらでもあったのだろうけれど、自分が一体何の病気なのかをきちんとわからなければ適切な処置ができないのと一緒で、わたしはちゃんとした薬を処方してあげられなかったのだ。

話したい。
でも怖い。
学習をはじめると気持ち悪くなって続かない。
だけれど話したい。
でもできない。

この螺旋階段をぐるぐるとひたすら何年も上り続けた結果、出来上がったのは「英語がずっと話したいけれど一歩踏み出せない33歳」だった。

(あとね、あまりにもコンプレックスすぎてこれ本当に良くないんだけどペラペラ話せる日本人がひたすら妬ましかった笑)

今こうして英語の学習が続くようになって分かったけれど、そもそも私のように「英語を話したい」の前提に「怖い」がある人はなぜ怖いのか、その原因がわからないまま、誰かが出してくれたhow to ばかりを学んでも続かないと思う。

「何故英語をしゃべりたいのか」の目的と同じくらい「何故英語が怖いのか」も明文化しておかなければ、きちんと効く薬は用意できない。
それが分からないまま信じて走れるほど、私たちはきっと、そんなに器用でも忍耐強くもないと思う。

「僕だって緊張している」と言ってくれた先生との出会い

1年前の今日、朝からお腹が痛かった。あまりの緊張で気持ち悪くて吐きそうだった。タイ・チェンマイの語学学校。迎えてくれたのはメキシコ生まれ、アメリカ育ちの先生。

拙い英語で「I'm…..(なんて言うんだろう不安って)scary(怖い)?」と小さな声で伝えると、困った顔をしながら「I'm nervous too(僕も怖いよ)」と伝えてくれた。

その時、世界が変わった。
ああ、私の目の前にいるこの人も不安なのだと。
何にも私と変わらない、初めましての生徒とのコミュニケーションに緊張している一人の人間なのだと。

わたしはその時初めて「英語が怖い」理由がわかった。

私の病名は、圧倒的な不利な立場に立った自分の自尊心が、ただ乱暴に、無防備に壊されていく自尊心に耐えられない恐怖だったのだ。


無防備にただ壊されていく自尊心

最初に「英語が話せない。不安です」と言うと、大抵の先生は「Don't worry!(気にしないで!大丈夫!)」と笑顔で返してくる。
その度に「そりゃあなたは立派なバリアに守られているからね!」と悪態をついていた。

先生は「英語が話せる」という安心の安全地帯、絶対に傷つけられることのないバリアの中にいるのに対して、こちらは全身無防備に「さあどこから攻撃されてもすぐ倒れますよ!」のこの圧倒的な劣等的な立場で「大丈夫」なんて笑顔で言われても大丈夫じゃないわけです。

朝頑張って早く起きて、準備をして向かう学校、そして向かうオンライン英会話で「できない自分」と対峙しなくてはならない、という苦行。

わたしにとってこの「早起き」も肝だったと思う。眠るのが大好きな私にとって早起きは、何よりも難しくて価値のあることのはずなのに、その「プラス分」もなかったことになってしまうあの感覚。

授業が終わったあとにやってくる「ああ、全然話せなかった」という自己肯定感が下がるあの感情と、「また明日もこれが始まるのか」と無限にエネルギーを奪われていく感じ。

あれらに耐えられなかったのだ。英語自体が怖いというよりは。

それを私の先生は、励ましではなく同意で受け取ってくれた。
ちゃんとバリアから出てきて、私の前に座ってくれたのだ。
この体験が、私を救ってくれた。

そこに気づいてから、誰かと英語で会話をしなければいけない時に、私は自己肯定感が下がるかもしれない準備ができるようになった。下がる準備が事前にできるのと、訳もわからず下がるのとでは雲泥の差だ。


こんな風に過去形で書くと今は怖くないのだとまたまた誤解されるのだけど、わたしはまだまだ、英語の存在はひたすら怖い。

友人に英語で話しかけると戸惑うし、出かける日は億劫だ。
大好きな先生と対面するにも勇気がいるし、今でも緊張する。

だけれどこの、なぜ怖いのかを知る作業は、わたしの背中を少しだけ前に押してくれた。間違っても、ただ佇んでいたあの頃とは違う場所にいる。

今わたしは海外で生きている。
週に1度、違う国の人たちと美術館やカフェに行ったり、写真を撮りに行く。
突然カフェやレストランで話しかけられても対応できるし、友達からのLINEにささっと返すくらいはできるようになった。

ここまで来るのに時間はかかったけれど、やっとちゃんと前に進み始めている気がする。

今日で私の一歩目を一緒に踏み出してくれた先生は、いなくなってしまうけれど。彼のおかげで私の人生は大きく変わった。

先生と生徒でなくなっても大切な友人であって欲しい。
そして願わくば、彼に訂正されることなく英語でコミュニケーションがとれる私になれますように。




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現在英語のコーチングサービスPROGRITに3ヶ月間挑戦しています。
勉強が本当に苦手な私が続いているサービスでもあるので、気になる方は良ければのぞいてみてください。
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あと1ヶ月でトレーニングが終わります。
またこの話も詳しくどこかで。


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