見出し画像

生かされてるじゃなくて生きてるって思いたい

もうすぐまた少しだけ長い旅にでる。
5月に日本に帰国して約3ヶ月、今回は国内にとどまっていた(その理由のnoteもまた別で書いているので、公開するかもしれない)

自宅は引き続きまだバンコクにあるから、何がわたしの「帰る」なのか「いってきます」なのかもはやよく分からないのだけれど、旅にでます。まだお邪魔したことのないはじめましての国。

日本に滞在している間に何度かインタビューを受けさせてもらって、その中で「旅のどんなところが好きなんですか?」と聞かれる機会があったのだけれど、そもそもわたしは旅が特別に好きなわけではない。(というと大体びっくりされる)
特に「海外を旅すること」に関しては、全く。全くもって「好き」とは言い難いと思う。だって世界一周が初海外だったくらいに、わたしは27年間、外に出た事すらなかったのだから。

「じゃあなんで旅をするんですか?」ともちろん聞かれるわけだけど、わたしはいつも「日本に生まれたから、日本が生きていく場所としてベストだとは思っていなくて。もしかしたらインドの方がベストかもしれない。もしかしたらロシア人に生まれていて、ロシアがベストかもしれない。そんな事を考え出すと、旅に出ずにはいられないんです」
というテンプレート的な、真実と作りものの間のような答えを差し出していた(別に嘘じゃない)

それでも何だかしっくりこなかったし、そもそも1箇所に止まっていると死んでいくような、心地がどんどん悪くなる。それってベストな場所が見つかったところで、解決されないのでは?と思っていた。心の正体も分からなかったし、息苦しくなるのかも分からなかった。ずーっと分からなかったのだ。

でも1個の事をぐるぐる考えながら過ごしていると、ふと、ぱっと、今まで空いたことのない引き出しと、これまで開けっ放しにしていた引き出しがリンクする瞬間がある。
多分、今回もそんな風にリンクしたのだろう。
生まれた言葉を決して殺さないように、iPhoneにわっと殴り書いた。
「生かされてるじゃなくて生きてるって思いたい」と。

毎日安全な場所で、安全なものを食べ、暑ければクーラーを入れ、寒ければぬくぬくとヒーターをいれる。
飢えて死ぬこともなければ、戦争もない。

それらは「確実に安全な箱の中で生かされているのだ」という感覚を植え付ける。命が管理されている感覚。五感を研ぎ澄まさなくとも、生きていけてしまう感覚。

「檻の中で生きているハムスターのようだ」
と、小学3年生の頃先生に訴えたあの瞬間も、ディズニーランドに足を運べば、作り込まれた平和そのものの、息苦しさと違和感と「ここから出たら世界が終わっていたらどうしよう」というどうしようもない悩みに高熱を出していた学生時代も、なんだか全部、そこにリンクしているような気持ちになった。

旅は、その箱をほんの少し「未知」という扉で開けてくれる。
五感を刺激し、自分の足で歩き、箱の中では思いもよらなかったような危険がやってくる。生かされているのではなく、今、自分は生きているのだと。
そんな気持ちにさせてくれる。
あの瞬間の、気持ちが高揚して、目の前がクラクラする感覚はきっと、今自分が「生きている」ことへの喜びなのかもしれない。

私は旅が決して好きではないけれど、多分、必要なのだ。
水のような、空気のような。多分、生きていく上で必要なものなのだ。
ちゃんと世界に触りたい。自分の五感に触れていたい。

だからこれからも旅をする。生かされているのではなく、生きているのだと実感するために。
これを書きながら、まるで平民の気持ちが分からないお城のお姫様のような。安全な国でぬくぬく育っているやつの意見だなあと、思いながらも。

こうして出た答えに、とてもしっくりきている夜です。

==

アイキャッチmodel: Arisa Nobuhara.

いつもありがとうございます。いただいたサポートの一部は書く力の原動力のおやつ代、一部は日本自然保護協会に寄付させていただいています。