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喫茶「ねこのひたい」

(今週の共通テーマ:喫茶店)

カラコロと小気味よいベルの音が、乾いた大地に響きわたる。細くあけたドアの間からは、パラパラと細かなオレンジの砂が舞い込んできた。
今月は、まだ雨が降っていないからだろう。ぽつり、ぽつりとわずかに生えた緑たちも首をうなだれている。

オレンジの砂の山の向こうに見える空が夜のベールを脱ぎ、薄紫色の化粧をはじめている。こういう日は特別に暑く、雲ひとつなくなることをマホはよく知っていた。

「喫茶 ねこのひたい」
不恰好な、木の板でつくられた看板には、これまたいびつな文字でこう書かれていた。マホの手書きだというと、いつもたいていみんなに笑われてしまう。味があって、我ながら上出来だと気に入っているのに。

白い布がピンと張られた、半径3mほどのテント型の建物。入り口の、何重にも重ねられたちぐはぐな布。てっぺんには、ベルがいくつにも束ねられて下がっている。


中には簡易キッチンと、大きなソファが2つあるだけ。壁に黒猫のタペストリーが下がっていて、そのすぐ下の椅子にはタペストリーに書かれたイラストとそっくりのねこ、ケルトが気持ち良さそうにまどろんでいた。

マホがこの広大な砂漠のに、喫茶店「ねこのひたい」をOPENして、もうすぐ1年になる。最初は「なぜこんなところに」と怪訝な顔で中をのぞいて去っていくだけだった隣人の村の民たちも、今では週に何回か、お土産をもって遊びにくる。

見る人によっては何もないこの不便な場所を、マホはたいそう気に入っていた。

「や、まいったよ」
午前7時。看板を出すやいなや、カラコロと、ベルがちいさくぶつかる。
振り向くと、そこには枝のようにひょろりと高い身長に、ぶかぶかの皮のブーツの男性がカラフルな布から顔を出していた。
深々と目の上までかぶった帽子に、ぎょろりと丸い目。ワシのくちばしのように曲がった鼻の下に、立派なヒゲをこさえている。見た目は20代前半の青年にも、30代後半にも見える。水の都で生まれた民族特有の顔立ちだ。

「テト。今日は早いのね」
マホはにっこり笑い、果物商人のテトを招き入れた。いつものね、とオーダーが通る。

「連日この天気だろ。果物がぜんぜん育ちやしない。都も川の水がすくなくなって。水の都にきたはずなのに…なんて、観光客たちが愚痴をこぼして帰っていくさ」

「先月も、雨がすくなかったしね。うちも砂が余計に舞い込んできて掃除が大変だよ。まあ、ケルトが表を走り回った足ではいってくるから、砂まみれなのはいつものことなんだけどね」
マホは笑うと、手際よく薄いパンにペーストを塗り、野菜やハムをはさんでいく。ひとつはここで、もうひとつは街へ向かう途中の昼ごはんになる。

初めてこの場所を訪れてから、ここに足を運ぶのは何度目だろうか。
「前はここを通るたびに、今月もマホはいるのかな、とそわそわしたけれど。最近でやっとそんな心配も薄れてきた。商人たちの間でも、この喫茶店のことはよく話題になる」

「へえ、興味ある。わたしどんな噂をされてるの? 料理が絶品だとか、居心地が良いとか?」
マホは自分の分のマグカップにも白い液体の「ギイ」を注ぐと、テトの隣に座った。

「あんなところでひとり喫茶店を開くなんて、よっぽどの変わり者か訳ありにちがいない、ってな」
テトはにやりと笑う。

「猫1匹と、ふらりと現れた若い女性が切り盛りする砂漠の謎のちいさすぎる喫茶店。俺だって最初に看板を見つけたとき、あまりの暑さに蜃気楼を見ているのかとおもったさ」

その言葉を聞いて、マホはケタケタと笑う。

約1年前。果物を積んだラクダと一緒にいつものルートでマーケットに出かけたテトは、目を疑った。通い慣れたはずの道のど真ん中に、ぼんやりと、白いゲルが見える。近づいてみると、 “喫茶店「ねこのひたい」” とだけひどくいびつな文字で書かれていた。

こんな砂漠の真ん中に? 恐る恐るゲルに触れてみると柔らかい布の手触りがあった。どうやら幻ではないらしい。
地面と布の間が、3cmほどあいているのを見つけ、這いつくばって中を覗いてみると、薄暗い部屋の中に立ち尽くす影をみつけた。何やらボソボソと、ちいさな声で話をしている。女性の声だ。言葉は聞きなれない。

「…ううん。もう帰らない。わたし決めたの。意地を張っているとかでもない。自分で決めたことだから」

押し殺された、喉の奥からやっと絞り出されたような声。心なしか震えていた。

テトは慌てて立ち上がると、その場に立ち尽くした。何事もなかったように中に入るか、否か。この謎の喫茶店に興味はあるものの、もし中で女性が泣いていてでもしたら、とてつもなく面倒くさい。

店の周りをもう1週しながら考えを巡らせていたテトの迷いを拭い去ったのは、連れてきた相棒のおおきな鳴き声だった。炎天下に放置されていたことがよっぽど癪に障ったのか、地面に足をたたきつけながら怒っている。背中に背負わせていた果物が、ゆさゆさと左右に揺れた。

 その音を聞きつけた女性が、おそるおそる顔を出してしまったのだ。テトが苦笑すると、女性が慌ててにっこり微笑む。20歳くらいだろうか。この辺りの都出身でないことは、その顔立ちをみれば一目瞭然だった。

「よかったら中へどうぞ。あなたがもし入ってくれたら、お客さん第1号です」
女性の口から流暢な、砂の都の言葉が口から流れ出たことにおどろいた。
ぱきっと晴れやかな笑顔と声を聞きながら、テトは先ほど感じた重苦しい空気を、心の引き出しへとそっとしまった。
「ここ喫茶店は ”ねこのひたい” は、その名の通り。ねこのひたいほどのおおきさしかない、ちいさなこぢんまりしたお店なの。だからとびきり狭いけど、大丈夫?」
それが、テトとマホと、喫茶店「ねこのひたい」との出会い。あれから何度も、この喫茶店には足を運んでいるが、いつきてもマホはとびきりの笑顔でむかえてくれる。

だからこそ今でもテトは、この地に喫茶店を構えている本当の理由をマホに聞けずにいた。またあの、痛々しい声の引き出しを、開けてしまうような気がして怖かったのだ。

「さて。そろそろ行くよ」
壁にかけたカラフルな時計は、朝の8時を告げていた。

「うん。次のマーケットはいつ? その時までにまたギイを仕込んでおくから」
カップに残ったギイを飲み干すテトにマホが尋ねる。用意していたお昼用のパンを、空いている方の手にもたせた。

「ありがたい。次は満月の日にくるよ」
そう別れを告げると、ラクダの手綱をぐいと引く。もう行くのか、とラクダがけだるそうに歩き出した。その様子を見えなくなるまで見送ると、マホは空をあおぐ。太陽がオレンジの大地を照らしていた。

「1年。でもまだ、1年なんだ」
独り言をつぶやくと、食器を手早く洗う。今日はきっと、昼頃から忙しくなる。それまでに仕込みは、いまの時間でやっておいたほうがいい。

せわしなく動くマホをよそに、ケルトはうんと思い切り伸びをすると、尻尾をゆらゆらと椅子の上で揺らす。


「ねえ。マホ」
猫特有のねっとりした声に、マホが手をとめて振り向く。ケルトがまっすぐにマホを見つめていた。

「何よ」

「ゆっくりやればいいのさ。何事も」

おおきなあくびをすると、ケルトは朝の散歩へ軽やかに出かけていった。


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