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Blanc.「」

「あ、これからなにかこうかな。」と迷ってる時間がいちばん好きだ。
内装が好みで、通された席もこれまた好みで、これは当たりだ!と思いながらさぁ何を頼んでみようか。今日の気分はカフェラテか、それともチャイか。と悩んでいるカフェタイムと似てる。頭の真ん中にまあるい何かがあって、フツフツとあったまっていくあの感じ。

そんな感覚を、どこともゴールを決めないまま筆が走り出したときには憶える。

わたしは旅が好きだ。

だけれどガイドブックや誰かの旅本はあまり興味が湧かない。
というより、あまり見ないようにしている。

旅の計画を立てる行為は、サプライズプレゼントの中身を「それ丸い形だよ」とか「それこんな匂いするよ」とか、ネタばらしされたような気分になってしまう。

なので極力ノープラン、旅のチケットだけを握りしめて出掛けるようにしている。損をするときもあるし、遠回りをするときもあるけれど、それも含めて心がワクワクと踊る。

あのあてのない旅と、あてのない文章はよく似てる。とおもう。

あっちへふらふら、こっちへふらふら。気持ちがカフェラテのミルクとコーヒーみたいに溶け合って、心地よくて、夢心地になって。なんだかツンと鼻に染みるように、頭の中のまあるい何かがあったまる。

この夏、デザイナーからライターに職種チェンジをして、あまり下調べもなしに長野県へと移住を決めたのも、たぶんそんな気持ちが大きかったのだろう。

ライターとして走り出したわたしは
定めたゴールに向けてまっすぐに突き進むアスリートのように、毎日がむしゃらにただひたすらに筆を走らせていた。

まいにち課せられて苦しくなるノルマと、だけどわたし書くこと好きじゃなかったっけ?というはてなが頭を占領し始めたころ
なんだか重いなと、ふと立ち止まった時には、既にたくさんのガイドブックを握りしめて、突っ立っていて。

冷め切ったカフェラテは味がしなくなっていて、一口すすってみると、驚くほどに苦くて舌がしびれた。

そんな途方に暮れたわたしに、カフェラテをやさしくあっため直してくれたのは、同じようにふらふらと旅をする彼だった。

彼のシャンとした背筋をみて
あ、そうだ。
言葉って自由にすきなことかいてよかったんだ。

そしてそれができる場所は、このご時世無限にあるわけで。

と、当たり前のことを思い出した。

しばらくご無沙汰だったnoteのアプリをみつけて、あてのない旅へでる。

さあ明日は、なにかこうかな。


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