生きていくと決めた街

(今週の共通テーマ:くつ下)

「靴下を売るお店をひらいちゃいました」なんてあの人が聞いたら、どんな顔をするだろうか。
少なくとも「おめでとう!」と言っている顔は、まったく想像ができない。
だけれど、たぶんあからさまに怒りはしないだろう。そんな、感情がおおきな波のように表に出るひとではないから。

カラン…とベルが鳴る音がして顔を見上げると、地元の女子高生らしきふたり組が、店のなかにはいってきた。
ああ、あの制服は、たしか近くの高校だな。
きゃっきゃっとはしゃぐ彼女たちの邪魔をしないよう、わたしはなるべく静かに「いらっしゃいませ」とカウンターから声をかけた。

わたしがこの街にUターンをしてきて、1年が経過した。
最初はこんなに居座る予定ではなかったのだけれど、やっぱり慣れ親しんだ場所だからだろうか。不思議な場所の魔力に取り憑かれてしまって、「東京にかえりたい」と思わなくなってしまった。

「いいんじゃない。君が生きたい場所で生きればいいよ」
そんなメッセージからは「僕には関係ないから」と聞こえてくるようで、なんだかすごく悲しい気持ちになったのを覚えている。


彼が「2年間の海外転勤が決まったからついてきてほしい」と言ったのは、わたしがまだ東京にいたころ。
散々迷ったあげくに、待っている、と回答したわたしを、親も友達もずいぶん責めたけれど、彼はにっこり笑って「戻ってくるからね」と言って軽やかに飛び立っていった。

彼のことは好きだった。
だけれど、すべてを振り払って知らない土地へ行く勇気も、わたしにはなかったのだ。

だけれど、彼と過ごした東京でひとりで生きていく勇気もなくて、わたしは早々に地元へと戻ることにしたのだ。

あれから根気強く、最初の数ヶ月は連絡を取っていたけれど、1年を過ぎたいま、彼との連絡は、数えるほどになってしまった。
悲しくない、と言ったらうそになる。だけれどあのとき、手をとらなかったのは、自分なのだ。


ちいさい頃からこまかな作業が好きだったわたしは、なんでも自分でこしらえた。
…というよりは、この田舎街におしゃれなお店なんてなかったから、ほしいものはなんでも自分でつくるしかなかった。
歩いて片道30分以上かかるちいさな本屋で雑誌を買って、これまたちいさな布屋さんで似ている布を買い集めて。

やっとの思いで完成した、はじめてのワンピース。風がはいるとまあるく広がるスカートが嬉しくて嬉しくて、庭先でくるくると踊った。あのときなんでか、まるで自分が何か物語の主人公になったような、そんなしあわせな気持ちになってしまって、そこから服作りが本格的な趣味になった。

あれから何年も経って、もちろん東京ほどではないけれど、街にはおおきな本屋さんも、ちいさなファッションビルも、たくさんできた。街にもおしゃれな女の子たちが、とても増えたように思う。
だけれどやっぱり、どこか垢抜けないのだ。
それはきっと、服を引き立ててくれる小洒落た、ちいさなアクセサリーやカバン、靴といった、ちいさな、だけれどとても大事なアイテムを扱うお店が、まだまだ少なかったから。

ならばと思い、わたしは靴下を売るお店をはじめた。そんな女の子たちの足元から、おしゃれを暖めて応援したかったのだ。

女子高生たちが一足ずつ色違いの靴下を買って、お店を後にする。狙い通り売り上げは、上々だ。

わたし、このままひとりでも、生きてゆけるかもしれない。
そんな思いがふと頭をよぎった瞬間に、ケータイ電話が鳴る。

画面には、彼の名前がチカチカと光っていた。

「…さち?」
なつかしい彼の声に、体がじわりとあたたかくなる。

「どうしたの?電話なんて急に」
わたしは怪訝そうに尋ねる。

「前、みて」
その言葉に、まさかと思い顔をあげると、店の外で、1年ぶりにわたしの目の前に現れた彼がひらひらと手をあげていた。

わたしはぽかんと口を開けて、ケータイを落としそうになる。そんなわたしの様子を見て、彼はなんだか申し訳なさそうに、店のドアを開けた。

「久しぶり。あと、ただいま」

これおみやげだから、大きなカバンから、色とりどりの布が手渡された。

「これがペルーで、こっちがアルゼンチン。こっちがメキシコで買った布。さちに似合いそうだなーって思って。最後、こっちに戻ってくる前にいろいろ回って買ってきたんだ。あ、あと」

お店のオープンおめでとう。

唖然とするわたしに、彼がにっこり微笑む。
聞きたいことは山ほどあったけれど、懐かしさであふれそうになる涙と、言葉の波に占拠された頭の中は今にも爆発しそうで、何も言葉にならない。

なんだか気まずくなって、足元に視線を落とすと、彼の足が目に入る。
彼はいま、何色の靴下を履いているんだろう、と、どうでもいいことをぼんやりと思ってしまうのが可笑しくて、ふふふっとわらけてきてしまった。

そんな様子を、彼は不思議そうに見ている。

ああ、そうか。わたし、彼と会わない間に、ちゃんと前に進んでる。
ちゃんと彼がいない世界で、生きていくことを、決めているんだ。

「あなたがどういうつもりで戻ってきたのかは、わからないけど」

顔をあげて、彼と向き合って、頭の中の渦を彼に言い放った。

「わたし、東京にはもう戻らない。海外にもいかない。だって、この街で、生きていくって決めたから」

そこにいたわたしは、もう、東京から逃げてきた、情けない小林さちじゃない。
この街の、ちいさなちいさな靴下屋を経営する、小林さちだった。

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