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わたしは多分地球に許されたい

フリーランスになってからの3年間、稼ぎの一部を寄付に回している。
なんとなく目についた難民支援と、大好きな保護猫の団体へ。家族や友人にその話をたまにする機会があると「すごいね」とか「良いことだね」と言ってくれる。けれどいつもそこで、首を傾げてしまう。

わたしは寄付することが当たり前だ、と目をキラキラさせて言える強い心は持っていない。だってお金を稼ぐ事の難しさも、日々、自分や半径1m以内の生活を守ることの大変さも、十二分に知っているから。誰もが毎日を精一杯を生きている中、顔の見えない誰かや何かに支援をすることは、全然当たり前のことじゃない。

わたしは多分、わたしの為に寄付をしている。
「自分のために何かをやる」の方向は、美味しいものを食べたり、ネイルをしたり。わたしの場合、その並列に”寄付”が存在してる。
たったそれだけの事なので、何も偉くも、すごくもないのだ。

稀に寄付をしていると言うと「もっと調べた方がいいですよ」とか「あそこの団体はお金の使い方が不明瞭だ」とか、アドバイスをくださる方がいる。「ここのご飯が美味しい」という発言に対して「そこは美味しくない。こっちのお店が良い」だなんて、表立って言わないのになあ。あれって何故だろうなあ。

ここ最近、ずっとアマゾンの火災が止まらない。どのニュースを読んでも絶望的な情報しか入ってこず、読めば読むほどに、胸が潰れてしまいそうだった。
そんなわたしの行き着く場所は、やはり寄付。アマゾンの火災への寄付を、血眼で探す。それは多分、地球をより良くしたいだとか、誰かのためにだとか。そんな大それたポジティブなエネルギーではなくて。自分が今まで壊してきた地球への罪悪感だとか、虚無感だとか、そんなネガティブなものからきている気がしてならない。

旅をするようになって、「自分は地球に生かされているのだ」という思いはより強いものに変わった。地球に人間がお邪魔している。植物も虫も魚も人間も、何も変わらない。みんな地球にお邪魔している。
なのに、人間がどんどんと資源を破壊していく。私たちだけが。
わたしは壊してばかりの自分が、許せないのかもしれない。

どうして良いかわからない焦燥感の向く先が、目の前の小さな寄付なのだ。少しだけふっと息ができる、一瞬の安心感。

わたしは多分、地球に許されたいのだと思う。
今、自分ができる、すべき。エネルギーの向き先はどこだろうか。

いつもありがとうございます。いただいたサポートの一部は書く力の原動力のおやつ代、一部は日本自然保護協会に寄付させていただいています。