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「こんな夜があるなんて」

日々淡々と島時間をすごしていたら、滞在もいつの間にかあと5日になってしまいました。
島には仲良しな島民さんも沢山できて、道ですれ違うと
「よお。今日夕飯食べにこいや」とか
「島バナナ持っていきなさい」とか、優しくしてくれる。
お別れは寂しいけれど、またただいまって出来るのが楽しみになったなあ。

最高に青い海をいつまでもいつまでも見ていたり、

「今度は彼氏とこい」と言っていつも出してくれるおじーのソーキそばを食べたり。あとは真面目に仕事もしたり。そんな3週間を過ごしてる。

わたしが「仕事をしながら朝から夜までどんな1日を過ごしたのか」というめっちゃ細かい記事を、帰ったらおきなわマグネットさんで多分書かせてもらうので、お楽しみに。

今日も昨日も一昨日もいろいろあったのだけど、今日は息が止まるような夜に会った。

波照間島でツアーガイドをしている親盛さんが「今日は星が綺麗だから」と言って、星空が見える場所まで連れていってくれて。もう街中で見上げた空も十分綺麗でずっと「今日は星がやばい。今日は星がやばい。」と呪文のように唱えていたのだけど、島の奥まで行ったらもう言葉を失うほどに綺麗で。頭の中に、

試着室で思い出したら本当の恋

という、大好きなルミネのキャッチコピーと

満天の空に君の声が 響いてもいいような綺麗な夜
悲しみが悲しみで終わらぬよう せめて地球は回って見せた

という大好きなRADのトレモロのフレーズがぐるぐると回ってた。

粉砂糖みたい!と叫ぶと、親盛さんがさすが、文字を書く人は独特の表現をするねと笑っていたけど、本当に空に粉砂糖をまぶしたような夜だった。

ああこれは。誰かと見に来なければ。独り占めしてしまうなんてもったいなすぎる!


世界には同じ夜でも、いろんな夜があるね。
こんな美しい夜もあれば、戦争をしている夜もあって。
わたしがいつも人工的な光に埋め尽くされた空を見上げていたとき、この島のひとたちはこの空を見ていて。
でも、わたしの見ていた空も、この空も、一緒で。

「そこに確かにあるはずなのに見えない人と見える人がいる」って感覚が、とても不思議。言葉がつたないけれど、本当に不思議。

だけれどさ。今見ている光は250万年前の光だったりするわけで。

「はー。とか、なんか本当悩みなんかどうでもよくなっちゃいますね」
と私が話しかけると
「そう。人間の悩み事なんか無駄」
とすぱっと気持ちよく切り捨てて、陽気にシャッターを切る親盛さんを見ていると心がすっとする。

そう。人間の悩み事なんか無駄。
だからせめてひとりでも多くの人が、ただこの瞬間に感謝したくなるような、この自然が作った美しい夜と出会えたらいい。

いつもありがとうございます。いただいたサポートの一部は書く力の原動力のおやつ代、一部は日本自然保護協会に寄付させていただいています。