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しとしと、雨の気配が都会に森を連れてくる

晴れの日より雨を好きになったのはいつのことだろう。
いくら記憶の糸を手繰り寄せてみてもどこにも結目が見つからず、引っかかるのは学校の雨の図書室で楽しそうに変な本を見つけてゲラゲラ友達と笑っている自分だったりとか、一生懸命傘で空を飛ぼうと坂を駆け抜けていく自分だったりとか、そんなものばかりだ。

なので正確には覚えていないのだけれど「雨」という存在が好きです。

朝ベッドの中で目を覚ました時にパラパラ、と聴こえてくる音も好きだし、そんな日の開きかけの本に落ちる暗めの影も好きだし、
なんとなく寒々とした外の世界はいつもと違う次元に吸い込まれてしまったようで、途端にワクワクする。

雨は低気圧で頭が痛くなるという友達も多い中、わたしは神様がプラスの機能を付ける際に「雨を快適に楽しめる機能」を付けられたに違いない。すこぶる調子が良い。(だけれど神様、付けるならもっと他のオプションでも良かったんですよ?)

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雨の日の楽しみ方はそれぞれあって、大人しくお家で本を読んだりもするし、逆に傘を片手にわざわざ外へ音を聴きにいったりもする。
しっとりと体を包む空気を感じると、久々に水を浴びさせてもらった植物のように生き生きしてしまう。前世が植物なのであれば、大好きな波照間島のサトウキビが良い。

私の暮らす場所は東京のど真ん中。
どれくらいど真ん中かというと、名前を言うと「え、あそこ?」とびっくりされるほどの中心地。たまにこの街は大きなドームで囲われていて、外側は実は大気汚染で人が住めなくなってしまって、空も空気もたまに生えている木も、全部偽物なのではないかと疑ってしまいたくなる。
それほどまでにここは人工的で、本当に「人間」が住む場所であって、植物が暮らす場所ではないのだ。
「人間が植物の中にお邪魔している」くらいの感覚が落ち着く私にとってはまさに毎日サバイバルだし、せめて少しでも緑を感じたくて狂ったように花を買ってしまう。おかげで我が家は花の死体(ドライフラワー)だらけだ。


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そんな都会に、雨はどこからか森を運んできてくれる。
鳥の声はいつもより遠くまで澄んで聴こえるような気がするし、
しん、とした街の音は深い森の中にいるような気持ちになる。
家の中の電気を消して目を閉じると、大きな雲の影にいるような気持ちになるし、外に出た時にふわりと鼻に届く雨の匂いとしっとりした気温は、マイナスイオンを含んでいるような気持ちになる(真相は知らない)。

ちなみに雨の日に走る車の音は、いつも「波の音みたいだなあ」と思うし「葉擦れの音みたいだなあ」とも思う。
都合の良い方を採用するようにしていて、今日は森の気分なので、葉擦れの音にしたい。

そんなふうに私はいつも都会での雨を心待ちにしていて、今日は何ともラッキーなことに、雨が降っている。ちょうど今月は少しお疲れ気味だったから、このタイミングは心底ありがたい。

しとしと、ぱらぱら。
しとしと、ぱらぱら。時折ざーっと葉擦れの音。

雨の気配が都会に森を連れてきた。


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