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ただ、目の前の日々を愛しいと感じられる人生を

「なんだか漫画のような人生送られてますね」
そんな台詞を今まで何度ももらった。そのたびになんだか嬉しい気もしたし、恥ずかしい気もしたし、孤独なような、そうでもないような、そんな感情になった。

多分その台詞には、尊敬だったりとか、後ろにカッコで「私にはできませんが」とか「私はしたいと思いませんが」とかがくっついて見えるからなのだと思う。それが嬉しさと恥ずかしさの正体。

私だけわがままに、世界のルールに背を向けながらずんずん進んでいるような気持ちになることがある。
その感情自体が非常に図々しいし、正しいとも思うし間違いだとも思う。
それがきっと孤独と、そうでもないようなものの正体だ。


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上の文章はいつだかの下書きに入っていたもので、何ヶ月後かのわたしが今、それをリレーのバトンのように受け取って続きを書いている。
書いたのは間違いなくわたしのはずなのに、なんでか知らない人の文章のようで、それが後ろか前かはわからないけれど、私自身も刻一刻と進化しているのだろうなあ、なんて思う。

それはとても素敵なことで、同時になんだか切ないね。

そうやって私も君も少しずつ変わって、いつだか私の世界のすべてだった君は今では見知らぬ誰かになっていて、この世界から姿を消したわけじゃないのに、もういないんだね。二度と会えないのです。

かしこ。


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最近どうやら私の細胞たちが旅を欲している。
ふつふつと湧き上がる震えに連動して熱をあげていく体と、スピードをあげていく心臓と、何故か泣いてしまいそうで鼻の奥がツンとする感じが、物語っている。
この気持ちに対して見て見ぬふりをしても良いけれど、どうしようね。

旅の定義は何か?と聞かれても今まで私の中に答えは持ち合わせてなかったけれど、マッドハウスの宇宙よりも遠い場所に出てくる三宅日向の言葉がすごくしっくりきた。

「引き返せるうちは旅ではない。引き返せなくなった時に初めてそれは旅になるのだ」

地に足がついている、とは完全に反対の、
落ち着く、だなんて夢のまた夢で、
誰かと生きるとか、何かを成し遂げるとか、
そんなものではない、流れに身を任せて彷徨うような、
きっと私が今欲しているのはそんなものなのだ。

なんて魅力的で危うい。
32歳という年齢もまた、なんて魅力的で危うい。

世間に後ろ指を刺されながら、もはや色々後戻りできないような。
そんなものを欲しているのであれば、なんかもう、
我ながらあっぱれである。


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何が書きたかったんだっけな。

そうそう、この記事につけられたタイトル
" ただ、目の前の日々を愛しいと感じられる人生を "
は、私が旅に出ること、言葉を綴ること、写真を撮ることの全ての動作の根幹にあることなのだけれど、私にとって「楽しい」よりも「愛しい」の優先順位ってはるかに上なのだなあと最近しみじみと実感しています。

愛しいって良い言葉よね。
すべてをくるっとあったかいもので包んでくれる感じ。

そちらは今日も晴れていますか。
悲しいことはないですか。

私はなんとか、この世界で頑張ってるよ。

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