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世紀末を越えたあたりで僕ら、終わるべきだった

普段BGMがわりにランダムで流しているYoutubeの歌詞がそこだけ音量が上がったかのように鮮明に耳に飛び込んできた。

”東京カランコロン ハロー(終わり)”

と画面には表示されていて、頭にはうさぎのようにコミカルに飛び回る女の子と、いつもその周りでニコニコと笑っている男の子たちが浮かぶ。あの人たち、こんな曲も歌うのか、ともう一度最初からリピートする。

じんわり頭の先から喉を通り、足の先にじーんと広がっていく。曲もご飯と一緒で、必要な時に必要なものが入ってくると、体がゆっくり味わおうとするよね。もうひとくち、もうひとくちと、何度か巻き戻しと再生を繰り返しながら、音と歌詞を食べ進めていく。

ハロー
小さな言葉が今も
記憶に群がっている
冷たい数字で示された温度に
情けなくて泣きたくなった
渇いた喉にひっかかって出ない
何かに苦しめられて
毎日少しだけ今すぐ世界が
終わることを期待しているのさ
世紀末をこえたあたりで
人類は滅ぶべきだった
こんなにも醜い僕を
醜いと笑ってくれないのだから
淡くなった部屋で生まれる
また新しい小さな命が
ハロー

切なくて悲しい歌詞。なのにとてもホッとする。何だろうね。
口を開けば「来世は森になりたい」だの鳥になりたい、猫になりたい、海になりたいと繰り返す私に「現実逃避だ」とか「病んでるの?」と茶化してくる人がいるのだけど、「何かになりたい」って自然な欲求なのになあ、と思う。
「有名になりたい」「自由に働きたい」「こういう仕事をしたい」の横並びに「森になりたい」「猫になりたい」が並ぶようなイメージで。だからなぜそれだけが箱を外れて、現実逃避になってしまうのだろう。みんな知らないだけで、来世の事なんか、誰にもわからないのにね。もしかしたら今こうして窓から見えている鳥だって、前世は「鳥になりたい」って願ってた人間かもしれないよ。

とはいえ今世はわたしは人間なわけだから、それはそれでちゃんと納得感を持って、人間を生きなければいけないのだけどさ。

ゴールデンウィークも始まるのに、なんてダウニーな日記!
でも、私はバンコクに住んでいるからあまり関係ないんだ。明日も普通の土曜日がくるのさ。

たまにこういうとりとめのない日記を書きたくなる。
自由に書ける場所がいっぱい用意されている時代でよかった。
ありがとう、テクノロジー。

またね。


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