見出し画像

遊就館からしょうけい館

2022年5月10日 カロク採訪記 中村大地

遊就館へ

10日は午前中に集まって靖国神社内にある遊就館へ。筆者は生まれも育ちも東京ではあるものの、今回はじめて靖国神社に入った。勝手になにかものものしさのようなものを感じて緊張する。茂る木々の一つひとつに書けられた陸軍士官学校第〇〇代記念植樹、というようなネームタグ。入り口の脇にある“特攻勇士を讃える”と書かれた少年兵の銅像には、ワンカップや紙タバコが供えられていた。

靖国神社の緑道と喫煙所は、お昼時付近の会社員の憩いの場所にもなっていた。

遊就館は博物館法の適用から外れた「宝物館」と呼ばれる施設で、管理を靖国神社が行う。チケットの表記も寺社仏閣のそれにならって拝観券である。一階は無料の展示スペースとなっており、第二次世界大戦で活躍した軍機やその一部が復元され奉納されている。キャプションの表記に、西暦のあとにカッコで皇暦を示すものや、國や學などの旧字体が多く使われているものが多く独特だ。

二階にあがるとまず、ケースに入れられた大きな日本刀が中央に座した部屋が出迎える。その周辺には天皇が詠んだ和歌が垂れ幕となってさがっている。2000年近く前のものから江戸時代、戦前に活躍した国学者のものなど、時代には開きがありながら、「国に尽くすこと」を説くものが多い。

展示は概ね国の歩みに従って進んでいくが、江戸末期までの展示と近代国家「日本」が生まれた明治維新以降で展示の趣が大きく異るのが印象的だった。明治維新以降は日本という国家がひとつの主語となり、その視点で19世紀末から20世紀にかけてどのように歩んできたのかが語られる。広島原爆資料館などが戦争の被害にあった市井の目線の史料館であるのに対し、「国」の視点で歴史が描かれていることが新鮮だ。とりわけ軍事関係、たとえば軍事作戦などの事細かさに関しては他の史料館とは比較にならないほど細かいのに比べ、原爆に関する表記はわずか二行。視点の違いでこうも語られ方は異なるものだろうか。それにしてもとにかく展示数が膨大だ。ほとんど丸一日かかって巡ったが、最後の方は見きれなかった。

つづいて、しょうけい館

その後歩いて九段下の戦傷病者史料館(しょうけい館)へ。こちらはビルの一角にこじんまりとある国立の施設で、明治維新以降の戦傷病者の歩みを体験記や、迫力のあるジオラマなどで紹介するもの。“日本”という国ができたから、戦いで傷ついた兵士の保証を国がする必要が生まれるという、至極当然の事実にハッとする。二階の常設展もさることながら、一階の水木しげるの特別展、というか水木しげるの書く戦争が印象に残る。「従軍先の島で現地民と仲良くなり、夜な夜な遊びに出かけていた」という水木しげるのエッセーが、先に見た遊就館で、兵士たちがみな一様に遺書に記した「お国のために死ぬのだから喜んでください」という言葉と反響する。このリアリティの質感の違いはなんだろう。前者の、情景が浮かび上がる「本当らしさ」と、後者の言葉を本当に書いて亡くなっていった若い兵士たちの感覚と。

戦傷病者に対する援護の年表。

一階には小さいながらも資料室があって、水木しげるや手塚治虫の漫画があった。かつての漫画家たちの作品の解像度の高さに慄く。時代の流れを追うのに「水木しげるの昭和史」をとりあえず読もうかな、という話をして、しょうけい館をあとにした。

中村大地(作家・劇作家)




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?