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空気のような愛を、

子どもの頃のお気に入りの遊びは、開け放した窓から吹き込む風に膨らむカーテンの裾に、ぺたんと座り込むこと。
レースのカーテンが私のからだを撫でるのが気持ち良くって、好きだった。吹き込む風が寄せては引いて、当時行ったことのなかった海を想った。6歳のちいさな肺いっぱいに風を吸い込んではそれを吐き、レースの影を手で掬い、風のにおいで鼻腔を満たし、木漏れ日がきらきらさんざめくのを眺め、時折カーテンのお腹をくぐり抜けて外に出て庭の芝生の緑に触れた。
私の持つなかで、いちばん透明な記憶である。五感と生きていたのだなあ、と思う。

背が伸びて視界が広がって、見える物が増えた。見える物が増えると抱えるものが増える。見えるのに見ようとしない物も増える。

私は、風のにおいをしばらく忘れた。忙しない日々のなか、五感がすこしずつ鈍って、淀んだ水の底に沈んでいるような気がしていた。

私を水から引き上げたのは、フィルムに焼き付いたくだらないワンシーンで、そこに写った貴方で、フィルムに焼き付けたからこそいま一度気付けた空気だった。

愛であって欲しい、と思った。

カーテンを通して撫でられた頬の感覚、
海のような風、
手で掬ったレースの影、
視界の片隅でさんざめく木漏れ日、
鼻腔を満たしたにおい、
肺いっぱいに吸い込んだ風。

子どもの頃となんら変わらず、私を包む、
風、空気、光。

愛は空気のようであって欲しい。
貴方も私も世界も包み込むように大きく、
それでいてかろやかで、
透明で、
まっさらで、
晴れた日には光を抱え、
雨が降れば柔らかく湿度を纏うような。

嗚呼、空気のような愛を、

貴方にも。

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