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北京入院物語(68)

 周さん騒動のとき、葉先生は彼の出身が河北省だと聞き、嘆くように「天に神あり、地に河北あり」といって、賢いことは河北の人には及ばないということを教えてくれたのです。

 しかし河北の人が付き添い(フーゴン)をするというのは非常に珍しいことなのです。
この仕事というのは、病院の中ではかなり低い仕事と思われていましたし、給与も最低ランクというものです。
しかも、1ヶ月もすれば、もうそこそこの仕事ができる割に、資本は体1つです。
一番安易に始められる仕事ということもあり、北京市外からの出稼ぎが就きやすい仕事なのです。

 北京市以外からの出稼ぎのことを中国語で外工(ワイゴン)と言いますが、特別な資格でもない限り、いい仕事につくということはありえません。
なぜなら北京市の方針で、北京市民が嫌がるような(日本で言う)3K(きたない・きつい・きけん)の仕事をするために、出稼ぎを招聘(しょうへい)しているような事情があるのです。

 おおくの出稼ぎは、北京市に既に働いている肉親、友達を頼りに、住居や仕事を探す傾向があるため、兄も妹も、家族がすべて同じ職場ということは少なくありません。
周さんは妹と2度めの嫁さん3人が同じ職場でしたし、包さんは姉と姉のご主人、そして弟・・・やがて彼の嫁さんも、中日友好病院で働いていたのです。
私は周さんには本当に腹を立てていましたが、家族も働いている職場だけに、すへてをぶちまけなかったのです。
北京入院物語(69)


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