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今年の夏はどこに行こうか。季節のある人生を送りたい話。

朝井リョウさんの「正欲」という小説を読んだ。
それはもう傑作で私たちの日常と価値観にガツガツ踏み込んでくる。というか踏み荒らしてきた怪作だった。

そして作品の内容もさることながら、その独特な表現のひとつひとつが骨身に染みてしまってあれこれ考えさせられたし、たくさんメモをとった。

その中で一番響いた表現が、

わたしの人生には季節がない

だった。

そうか、季節があるのは当たり前じゃない。
(※この小説の主人公は決して地理的な事情から季節がないと感じているわけではないけどね)

それはわたしもよくわかっていることのはずだった。

わたしが住んでいたマレーシアには季節がない。あるのは雨季と乾季だけ。しかもほぼ変わらない。

年中同じような気温で同じような日の長さだし、乾季であっても毎日スコールが降る。

季節がないから花が咲いたり枯れたりということもないし、木々が一斉に色づくなんてこともない。

季節イベントといったらクリスマスとチャイニーズニューイヤーくらい?

とにかく毎日一定で面白みがない。
日々淡々と生きていたら一年が終わる。歳をとる。

そんな環境に行って初めて、季節感の素晴らしさを思い知った。

日本には四季がある。それに乗じた季節イベントもたくさんある。

子供の頃はそれを当たり前だと思っていたし、大人になるとそれを楽しむのはマーケティングに踊らされてる人たちの愚行だという旦那の発言を鵜呑みにして全部スルーしていた。

でもそんなの勿体無い。
季節感を味わえるなんて特権中の特権なのに。

ましてや今のわたしには子供がいる。

彼女は毎日毎日成長していて、同じ一年は2度とやってこない。

大人になるまであと16年くらいあるけど、親と季節感を味わってくれるのなんてきっと小学生までだ。そしたらあと10年しかない。

あぐらをかいていた。また来年もあると思ってしまっていた。

未来なんて見据えちゃダメだ。現在と向き合わないと。

だから今年からは季節イベントに敏感になりたい。

夏が来るなら花火大会を調べないと。縁日を調べないと。海までドライブに行かないと。

秋になったら紅葉狩りに行かないと、ハロウィンには仮装をしないと。
12月になったらクリスマスツリーを飾らないと。

人生斜に構えたやつが負けだ。目の前のお祭りには飛び込んで踊ったほうが楽しい。

だから今年の夏はどこに行こうか、家族でどんな思い出を作ろうか。


梅雨のジメッとした空気の中でそんなことを考えている。




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