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「自分の中にも、これはあります。」

ぼくは高校生くらいから、同性の友達と言えば年上ばかりでした。

色々な人間が登場する漫画を描いてると、よほど他人に興味があって「趣味は人間観察」だとか思われているかも知れませんが、実際は本当に他人に対する興味が希薄で、人の顔や名前が極端に覚えられません。

その中で、ぼくが同性にも異性にも抱く最大級の興味が「憧れ」なんだと、最近分かりました。いくら仲が良くても、どこか「この人に憧れる」という感情が無いと、どうしても興味が生まれない。だから、必然的に年上とばかり付き合う様になったんだと思います。

先輩が好きなものを「お前、これ知ってるか?」と教わってきたので、好きな映画とか音楽の話をする時に「伊藤さんって、30半ばですか?」って言われる。実際より4つから5つくらい、上の世代のカルチャーを享受してきた気がする。

そんな年上とばかり付き合ってきたぼくが、「先輩というより、友達でいたい」と思う相手は、その憧れの中に共通点を見つけた時で、会話の端々に自分が知っている感情があって、似た場所から似たものを見ている気がした時に、この人とは友達でいたいと思う。

燃え殻さんは、ぼくよりも一回り年上で、きっとぼくと同じ様にこれまで自分が表現なんてするワケ無いと思っていた気がする。燃え殻さんはテレビの、ぼくは広告の、ものづくりの世界を垣間見て生きてきて、だからこそ自分はスポットライトを浴びる側の、表現する側に立つなんて思えなかったんじゃないかと思う。

きっとぼくと同じ様に、クソみたいな事がたくさん起こる毎日を過ごして、でもそれを他人からクソみたいだと死んでも言われたくない毎日を過ごして、表現に繋がるなんて微塵も思えないままネットに文章なり、漫画なりと書き始めたんじゃないかと思います。

実際、燃え殻さんは会うたびに「こわい」とか弱気な事をぼやいてるし「オレは表現者だ」なんて、未だにきっと思ってない。ぼくは人と会う時は結構強気でいるけど、この前ブログに書いた様に、根っこの部分では未だに自分がどうすれば良かったのか心から自信は持てていない。表層的なキャラクターで言えば、燃え殻さんとぼくは真逆に近いかも知れないけど、自分が表現者として生まれて、表現者として生きるなんて思えないのは、似てる気がする。

でも、燃え殻さんの「ボクたちはみんな大人になれなかった」を読んで、そんな迷いは考えるだけ無駄だと思った。別に、表現者と享受者に分かれているワケも無くて、そして別に、誰かに共感されたいワケでも、いいね!を押されたいワケでも無いんだと思った。ただ、自分の中にあって目を背けていた感情を見つめて、それを吐き出したくなっただけなんだと思う。

誰かに、自分が愛しいと思う事を、自分が悲しいと思う事を話す時、それに目的なんか無い。簡単に「わかる」なんて言われたく無いし、簡単に「わからない」とも言われたく無い。ただ、もしかして、聞いてくれる相手の中に似た何かがあった時は、その人とは友達になれると思う。

ぼくが漫画を描きはじめて良かったと思う事は「自分の中にも、これはあります」と言ってもらえた時だ。漫画のおかげで、色々な人に知ってもらえたし、色々な人と出会う事ができた。有名、無名、関係無く、似たものを抱いて生きている人が確かにいるんだと思えると、自分が愛しいと思う事を、自分が悲しいと思う事を、やっと大事にできる。

「自分の中にも、これはあります。」と、他人の中に自分を見つけてもらえた時に、表現と呼ぶには恥ずかしいけれど、世界と微かに繋がれた感動があるんだと思います。

「ボクたちはみんな大人になれなかった」を読み終えて、ぼくは今、燃え殻さんと会うのが恥ずかしいくらい憧れてると同時に、友情を感じています。

「ボクたちはみんな大人になれなかった」燃え殻

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