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「アイとアイザワ」第22話

これまでの「アイとアイザワ」

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新宿三丁目のカラオケボックス。そこに愛達は居た。駐車場の出来事から2時間ほど経っただろうか。辺りはすっかり夕暮れ時となっていた。まるでお通夜の様に静まり返った部屋に、隣の大学生サークルの熱唱だけが響いている。

「ひでぇOne Directionだな…。」モーリスが小声で大学生の歌声をディスった。

「私…ちょっと愛ちゃん見てくる。」ルミは炭酸の抜けたソーダ水のグラスを置いて立ち上がった。日本語ではあったが、モーリスは何を言っているのかは察しがついた。状況と、表情と、声色を聞けば何となく分かる。いわゆるノンバーバルコミュニケーション。言語に頼らないコミュニケーションだった。

「よせって…さっきと変わってねぇよ、多分。まだ電源がつかなくなったスマホを見つめてボーッとしてるよ。オレ達にできる事は、そんなに無い。あいつが戻ってきたら、本物のOne Directionを聞かせてやるよ。オレにできるのはそれくらいだ。」

花は両手で顔を覆いながら「私のせいだ。」と呟いた。

「私が…体育ずっと2だったくせに飛び出して…それで…もみくちゃになった拍子に…だから…私のせいでアイザワちゃんは…。」

ルミは花の隣に座ると、そっと肩に手を添えた。

モーリスは誰に言うわけでも無く、独り言の様に呟いた。

「NIAIは…何であっさりとオレ達を逃したんだ…?」

微かな空気の揺らぎが鼓膜を震わせ、ルミは顔を上げた。

「ルミ?どうした?」

「何か聞こえた…愛ちゃんの声…?」

モーリスはアイザワがルミは聴覚に特殊な才能があると言っていたのを思い出した。自分には聞こえなかった何かが聞こえたのかも知れない。モーリスは勢いよく部屋を出て、愛がさっきまで座っていた階段まで駆けていった。

「愛!!どこだ!!」

階段に愛の姿は見えない。忽然と姿を消してしまった。お手洗いかとも思ったが、胸騒ぎは大きくなるばかりだった。

次の瞬間、モーリスとルミと花のスマートフォンが同時に震えた。メールの着信。

「愛からじゃねぇな…あいつは今スマホを使えない…!」

メールを開いたルミが小さな悲鳴を漏らした。

メールの文面は、たったの一行。

「新宿御苑で待つ。鈴木大輔」

モーリスはこの名前に覚えがあった。NIAIの所長の名前。アメリカ人でも覚えやすい鈴木イチローと松坂大輔を合わせた様なーー実在しないとモーリスが仮説を立てた人物の名前だった。送り主のアドレスは文字化けしていて返信は出来ない。モーリスが提唱した「NIAIの所長は人工知能説」の現実味が増す演出だった。

「これって…アイザワが言っていたもう一つの人工知能…アウトサイダーからのメール…?」

困惑するのも無理は無かった。怒涛の数時間を共にした彼らであったが、まだ互いの連絡先を交換していなかった。特にルミや花はもっぱら連絡はLINEだ。謎のメールが届いた、このメールアドレスは長い事使っていなかった。本人達ですら忘れていそうなアドレスを一方的に知るなんて、普通の人間には不可能な事だ。

「ヘイヘイ!一旦落ち着こう!」モーリスは両手を広げて、自分自身にも言い聞かせるためにオーバーに振る舞った。モーリスはルミ達にも分かる様な、簡単な英単語で状況の整理を試みる。

「えーと、多分。」モーリスはルミ達の顔を見ながら、ゆっくりと丁寧に続ける。

「NIAIのリーダー(所長)は、人工知能。」と言って右の手を上げる。

「そして、このメールの送り主も、人工知能。」と言って左の手を上げる。

「同じ。」そう言うと、両手を合わせて見せた。

「そんで…愛はそいつにさらわれた…。」

「なんで!?」ルミは思わず声を荒げた。

「いや、知るかー!!!」モーリスも負けずに声を荒げる。花は泣き出す。

「…チッ!とにかく…オレは行くぞ!警察に言ってもダメなんだろ?しょうがねぇぜ…。」

花はしっかりと歩き出すモーリスの横に付いた。「私も行きます!もちろん!親友なので!」

「ちょっと待ってよ!モーリス…さん。あなたは何で行くの?その…そりゃあ私も行くけど…それは…ウエーブトークってやつで愛ちゃんの事を知ったから…もう完全に知ってるのよ、私は。もうすっかり妹みたいに思えてる。でも、それは知ってるからそう思うのであって。モーリスさんが愛ちゃんを助けようとするのはどうして?」

モーリスにはさすがに通じてない様で、ルミは改めて言い直す。

「Why…あー…will you help…?」

「ああ?そんなもんは…オレがジャーナリストだからだ…って言い放てばキマるんだろうけどよ…実際の所オレは三流だ。そんな大層な事は言えない。ただ…。」

モーリスはルミの目を見て、はっきりと言った。

「人間は、知ってる人間は助けて、知らない人間は助けない。知ってる人間のために泣いて、知らない人間のためには泣かない。そういうもんだろ。だから…オレは世界を知るためにジャーナリストになったんだ…!オレは愛を知ってる!だから助ける!そんだけだ!」

ルミの語学力では一言一句を理解する事は難しかったが、モーリスのまっすぐな目が、ルミがこれまで出会ったいい男達と同じだという事だけは分かった。

Chapter4 - RED HERRING


新宿御苑。大都会の中心に存在し続ける自然公園。その広大な敷地は新宿区と渋谷区を跨ぐほどだ。春は、満開の桜目当ての客で大いに賑わう観光地でもある。夜、閉館後の新宿御苑は実に静かなものだった。ドンキホーテで手早く道具を調達したモーリスは、慣れた手つきで投げ縄をこさえて高い塀によじ登った。

「公園自体が閉館してても周りは繁華街だからな…モタついてるとすぐに人が来るぜ…。」

ルミは遠くでスケボーをしている若者グループの声を聞いていた。幸いこちらには気がついていない様だ。この時間帯の御苑周辺を、ルミは歌舞伎町に出勤する道すがらよく通っていた。道を一本離れれば飲み屋が並ぶ繁華街である。いつ人が通りがかってもおかしく無い。ドスンと、モーリスが塀を越える音がした。

モーリスが内側から静かに門を開ける。ルミと花が駆け込むと、モーリスが「いつもこんな事やってる訳じゃねーからな」と自分をフォローした。

「新宿御苑の…どこに行けばいいのかな?」ルミの後ろで花が言った。

「とにかく…歩いてみましょう…。この敷地内に防犯カメラはあるのかしら…。あるなら人工知能…アウトサイダーが見張っているはずだけど…。見た所無さそうよね…。」

「静かにしろ!」モーリスが後手に手を掲げた。

「…誰か居る。」

辺りは都会の真ん中とは思えない暗闇だった。繁華街の明かりは遠く離れ、木々の葉を僅かな月光が薄っすらと照らすのみだった。雲が流れ、少しづつ月の光が強まる。芝生の中心に生えた立派な桜の木の下に、何かが見える。人影ー。

「愛とアイザワみたいに…アウトサイダーにも持ち主がいるはずだ。人間が居なきゃ人工知能は物理的に動き回れないんだからな…。ロボットの肉体がありゃ話は別だが…。あれは…どうやら人間だ。」


黒いコート。フードを深くかぶって、顔はよく見えない。あれがアウトサイダーの所有者なのだろうか。モーリスは今以上に近づくのを控えた。まだ距離は50メートルはある。モーリスはもしもの時のために隠し持っていた拳銃を確かめた。


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