ユーチューバーの楽しみ方が分かった

ちょっと前からずっと書きたかった話なんですが、ユーチューバーの楽しみ方がやっと分かりました。「やっと」と言うからには、楽しめない期間が割と長くあったんですが、最初はあんまり好きじゃありませんでした。

ちょっと特殊な立ち位置ですが、当時は広告代理店で働いていたので、代理店からするとユーチューバーは無視できない影響力がありましたので、好きか嫌いかは置いといても勉強しないと置いていかれる、という気持ちで。

とりあえず知らなきゃ何も語れないと思って、勉強のつもりで見はじめました。短い10数分の動画を一本観終えた頃には、最初に抱いていたモヤモヤした気持ちは無くなり「なるほど、確かにほっといたら延々見れちゃうな」と思って。中毒性あるなと。でも、そんなに好きとは思わなかった。

「ユーチューバー好きだな」と思ったのは、本当に最近で。その分かれ道になったのはコラボ動画でした。コラボ動画っていうのは、ユーチューバーが別のユーチューバーの動画にゲスト出演するってやつです。そこで、彼らの「関係性」まで見えるようになって、一気に好きになっちゃって。

ピンで見てると、こっち(視聴者)に語りかける形になりますよね。そうすると、いまいちのめり込め無いというか、構えてしまうんですけど、あっちで完結してると全然見れちゃう。その理屈で言うと、例えテレビに出てる芸能人でもカメラ目線で何かを語りかけてくるのは、ちょっと構えちゃう。

なんでしょうか、あの感じ。人と話すのって体力いるじゃ無いですか。得意不得意あると思いますが、人と話すのって誰でも1ミリくらいは体力減りますよね。カメラ目線のユーチューバー動画は、人と話すストレスをごくごく僅かではありますが感じてしまう。ぼくが会話に疲れやすいってのはあるかも知れないけど、1ミクロンくらいは誰だってある体力の消費な気がします。

もう少しだけ話を脱線しますが、リアルの友達付き合いでも、ぼくはサシが苦手なんです。一対一でメシ行ける友達って3人くらいな気がする。3人以上いる場なら全然楽しいって連中は30人くらい居ますけど、サシは相当限られる。3人いたら、自分のタイミングでトイレ行ってもいいし、別にぼーっとしても許されるし、携帯いじっても場は持つから。

広告代理店時代の同期とか、全員すごい喋るタイプだったんで、ぼくはずーっと見てるだけだったんですけど、それでも内心はすごい楽しかった。別にめちゃくちゃ暗いタイプでは無いんですけど「あー、おれ見てるだけで十分楽しいから、気にしないでー!」って感じで。心配されると逆に気を遣って疲れる。いや、気を遣わないといけない場では頑張りますよ。合コンとかで黙ったりしなかったけど!今はいいだろって時は、視聴者感覚になる。

自分以外の親しい友人同士が絡んでるのって見てて楽しいんですよね。自分が発言しなくても、あいつとあいつが話してるの見てて楽しい。そういう時ってありますよね。ぼくは、それが強めな気がする。たまに考えるんですけど、もし自分が事故とかで死んだら地縛霊としてそいつらの飲み会に居たいなって思う。見てるだけでも楽しいんだもん。

ユーチューバーのコラボ動画も、まさにそう言う感じで。自分が死んだ後の飲み会を見てる感じ(笑)そこに居ないけど、別にいい。見てるだけで楽しいって感じ。

よくユーチューバーの魅力って友達みたいに想える所って言いますけど、それって「オレと君は友達」って感じじゃなくて「オレが好きな友達達」って感じが近い気がします。

あと「関係性」が見えるってのは、友達度を深める最高のエッセンスで。「このユーチューバーは売れない頃にコラボしてもらった恩があるんだよね」とか。お笑い芸人とかアイドルとか高校球児とかエピソードありきで楽しんでる所もあるじゃないですか。「ここって同期でライバルでさ」とか。だから「関係性」って、見る上ですごく大事。そこが見えてくると「知ってる人」になる。

だから、今ユーチューバーめっちゃ好きです。でも、さすがに30過ぎのおっさんなので、見終わった後に「この時間、なんだったの」とは思います。虚無感はある。別に何か学べる訳でも無いし。ユーチューバー見るの習慣化するのは簡単ですけど、継続するメリットがなかなか無いんだよな。タバコと一緒で、別に継続に利は必要ないんですけど、気持ちよければ。それでも、まぁまぁ積み重なると時間かかるので「毎日ユーチューバー見てる俺どうなの」とは思いますね。

でもまぁ、「テラスハウス」とか「あいのり」観てる時間も大差ないんだよなぁ。結局、そんな利がある生活送ってないんだよな。


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