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才能の正体は“集中力の質”(前編)

この文章は、漫画「左ききのエレン」劇中に登場する架空の本「才能の正体(真城学・著)」を再現した内容です。性質上、架空の固有名詞が登場します。ご了承下さい。また、真城学も劇中に登場する架空の人物です。

「才能の正体」真城歩・著/2005年出版

第1章「才能とは何か」

「あの人は天才だ。」「あの人は才能がある。」東京藝術大学の教授という仕事柄、そんな言葉を度々耳にする。才能と向き合い日々切磋琢磨する学生達に感化され、私も幾度となく考えを巡らせた。どうしたら彼らを天才と呼ばれる程に覚醒させられるのだろうかと。しかし、それ以前に考えなくてはいけない大きな問いがある事を忘れてはいけない。そもそも「才能とは何か。」という問いだ。

かつての卒業生を振り返ってみよう。卒業生の中で出世頭を挙げるなら、恐らく岸アンナ女史が筆頭だ。今や世界的なファッションブランドへと成長した「アンナ・キシ」のクリエイティブディレクターである。彼女が芸大に居たのは、私がまだ非常勤講師だった時代だ。私自身が彼女の覚醒の助けになれたかは定かでは無いが、年齢が近かった事もありよく意見交換をさせてもらった。

彼女に関する事柄で私が最も驚いたのは、人生設計の緻密さである。「何年以内に○○を達成する。」こういった目標を設定している学生は少なくないだろうが、彼女の場合は極めて異質だった。「ブランドを立ち上げる」を大ゴールだとすれば「渡米する」などの中ゴールが紐づいており、その下に「国内外のコネクションを作る」などの小ゴール、更にその下には「コネクションのために会わなくてはいけない人物」のリストがあり、その下には「出会った時に聞かなくてはいけない質問項目」が箇条書きで記されている。私が戦慄したのは、さらにその下に「達成しなくてはならない期限」として、3年後の日付が記されていた事だ。年でも月でも無く日、そこまで具体的に記されていた。このノートは、岸アンナ女子が芸大の1年生だった時に見せてもらったのだが、まるで未来を見て来たかの様な先見性である。

言うなればアンナは「未来の解像度」が桁違いに高かったのだ。晴れてブランドを立ち上げた時に、私は「予定通りだね。おめでとう」と手紙を送った。それに対する返事は、こんな具合だった。「いいえ、先生。予定より5日早まったわ。」


第二章「未来の解像度」

「未来の解像度」の高さ。果たしてこれが才能の正体だろうか。確かに、これは魅力的な能力である事は疑う余地が無い。しかし、こういった能力が圧倒的に欠如している天才も芸大には多いのだ。「未来の解像度」が人並み以下、明日の朝に自分が何をしているのかも把握できない、視野の狭い人間が山程いるのが美大・芸大という場所である。しかし、そんな彼らがキラリと輝く作品を見せてくれたりするのだから、才能という言葉は奥が深い。

私は、この輝きは一体何だろうかと考えた。「未来の解像度」が極端に低い、ほとんどゼロの人間には、岸アンナ女子とは正反対の輝きを感じる。この気付きは、私にとって実に面白い宿題となった。長い年月を経た後、この答えを教えてくれたのは他でも無い彼女の娘だった。実に鮮烈で運命じみた出会いだった。名前は、岸あかり。2005年現在、彼女は世界的なファッションモデルとして活動している。

「未来の解像度」は、高くても、低くても、才能の輝きに優劣は無い。岸あかりは、それを鮮やかに見せてくれた。彼女は明日の事など全く見えていなかったのだ。私が出会った人間の中で最も視野が狭いと断言しても、彼女は否定して怒ったりはしないだろう。彼女は、誤解を恐れずに言うなら、生活に支障が出るレベルで後先の事を考えていなかった。

学生時代からモデルとして活動していた彼女だが、午後にオーディションを控えている事を忘れて洋服を絵の具まみれにしてしまったり、買った事を忘れて同じ洋服を何度も買ってしまったり、とにかく過去も未来も把握できていなかったのだ。しかし、彼女は決して無能では無かった。その逆、ランウェイの上であれほど光を放つ人間は世界中に数える程しか居ないだろう。在学中からすでにモデル界のカリスマ、天才と呼ばれていたのだ。

そこで私は考えた。「未来の解像度」というものは、その人が「把握可能な時間感覚」なのでは無いか、と。10年単位で未来が完璧に見えていた岸アンナ。そして、ランウェイの上に立つ数十秒・数分間のみ見えている岸あかり。私は、才能と呼ばれる曖昧な何かには、「時間」という単位に深く関係しているのでは無いかと信じる様になった。


第3章「才能と時間感覚」

私は、「才能と時間感覚」の関係を岸あかり女史を観察する事で考えてみた。彼女は「明日、自分が何をしているか把握できない」タイプの典型だったが、どれくらいまでなら把握できるのかと尋ねると驚くべき答えが返ってきた。

彼女が把握可能な時間は、3分間程度。聞けば、昔はもっと短かったと言う。子どもの頃は、一時間後に出掛けると何度言われても準備をせずに怒られたと。(母親であるアンナの苦労が思いやられる。)しかしアンナは、何をやらせても呆けている娘を無理やり躾ける事はせずに、自由奔放に育てたと言う。言葉を選ばずに表現するならば、大変甘やかしたそうだ。

ある日、アンナはある事に気が付いた。あかりは、素敵な洋服(主に自身がデザインした洋服)を着せてやった時に限り、鏡の前で眩いほど魅力的に立つのだと言う。時間にして、およそ7秒間。7秒が経つと、糸が切れた人形の様に飽きてしまうのだと。一説によると7秒間という時間は、人間が「今」として認識している平均時間だそうだ。7秒以内は「今」として認識され、それ以降は「さっき」「少し前」「数分前」という様に、認識が変化していく。7秒と言うのは、時間感覚の最小単位なのかも知れない。そこから、岸あかりは芸大に進学するまで少しづつその時間を延ばし、3分間を自分が生きる時間単位として認識できる様になった。つまり、彼女は「今」以外の全ての時間を忘れて生きているのだった。

さて、冒頭からここまで読むのに10分くらいかかっただろうか。そろそろ集中力が切れてきている人も居るかも知れない。そんな諸君らのために、一旦ここまでの結論を述べておこう。私は才能の正体とは、先にあげた様な「時間感覚の差」では無いかと仮説を立てた。

時間は誰に対しても平等に、均等に、淀みなく不可逆に流れている。しかし、どう考えても同じ長さの時間とは思えない瞬間がある。かのアインシュタインは「熱いストーブの上に手を当てたら、一分がまるで一時間くらい長く感じられるだろう。しかし美女と一緒にいる一時間は一分程度にしか感じられない。それが相対性だ。」という言葉を残したが、時間に変化は無くとも、そこに向き合う人間の意識によって時間感覚は変化しうると。それは時間に対する「集中力の差」なのでは無いか。

つまり、岸アンナの「集中力」は10年間持続し、岸あかりの「集中力」は3分間持続する、という差である。しかし、どちらにもそれぞれの強みがあり、それにがっちり噛み合った職業に就く事で両者とも世界で指折りの評価を得ている。

私はこの集中力の差を「集中力の質」と呼び考察を深める事にした。

第4章「集中力の質」

人それぞれ持つ集中力の差、それを「集中力の質」と表現する以上、定量化できて然るべきだ。私は、下記の様な項目で測る事が出来るのではと仮説を立てた。

1)集中力の長さ・・・集中力の継続可能時間。

2)集中力の深さ・・・集中力の深度、耐久度。

3)集中力の早さ・・・集中深度が深まる速度。

そして、この3つを掛け合わせたものが「集中力の質」だ。正確には4つ目の項目が存在するのだが、それはこの三つを理解した後で無いと混乱を招くため後述とする。

大雑把ではあるが、(1)を「長い・普通・短い」(2)を「深い・普通・浅い」(3)を「早い・普通・遅い」といった3段階評価で測ってみると、大きく27パターンの集中力の質があると確認できるだろう。

そして、不特定多数の知人にアンケートを試み結果がこちらだ。

※実際にツイッターのアンケート機能を利用して集計したものです。

いささか野暮な総評だが「短い・深い・遅い」というタイプが最も一般的という結果になった。が、このアンケートは自己評価に対するバイアスが強く見られるため、実際とは異なる印象だ。これについては、後編で詳しく考察する。

岸アンナ女史を例に挙げると、彼女は非常に長い時間感覚を持っていたが、集中力が全く途絶えない人間は存在しない。例えるなら、陸には滅多に上がらないが浅瀬に長く滞在できるタイプだ。一方、岸あかり女史はほとんどの時間を陸で過ごし(更に言うと、海の家でのんびりリラックスしきっているイメージである。)いざ集中する時が来ると、瞬く間に深海までダイブする、そんなタイプ。

後編では、いよいよ「集中力の質」をどう育てれば才能を開花させる事ができるのか考えてみよう。

後編へつづく



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かっぴー

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