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大谷選手とアカデミー賞と、アメリカにおけるアジア系に対する扱いと。①

やはり可能だった、大谷選手の通訳による不正振込

前回、大谷選手の通訳問題について、通訳が大谷選手の口座にアクセスすることは可能だということについて、アメリカ在住者ならではの視点で紹介させていただきました。が、やはり大谷選手は完全な被害者側で、通訳による不正送金の手口も報じられていましたね。

「(アメリカは特に不正対策が厳しく)通訳が勝手に他人の口座にアクセスすることはできない!」と、断言して、大谷選手批判を展開していた方々は、「アメリカなのだから完璧なシステムであるはず」と言う思い込みだけで発言したのでしょうか。それとも銀行は窓口オンリーで、ネットバンキングは利用したことがないのでしょうか。それともタンス預金のみ?

と言う冗談はさておき、実のところ、一部のアメリカ人にも「他人の口座にアクセスすることはできない」と言うことで、大谷選手批判を展開していた人はいました。正直なところ、これにはかなりびっくりしました。中には、「ハッキングしなきゃ無理だ!」みたいなことを言っている人もいましたが、”通訳”という立場や、送金するための操作フローを知っていれば、ハッキングなんて壮大な仕掛けをしなくても、不正送金が可能なことはわかるだろうに・・・。

でも、なぜこんな意見が出てくるのか?についても、いくつか推測できることがあります。このことを説明するにあたって、まずは、今年のアカデミー賞の授賞式で起こったアジア系に対する差別行為疑惑についての個人的見解をシェアさせていただいた方がスムーズかなと思いました。これは、旅行でアメリカに来ている分には、多分、感じることはない、深いところにあるアレ・・・何と言う言葉を使えば良いのか・・・。アメリカに根を張って暮らしていればいるほど、痛感することが増えてくるアレ・・・何と表現すれば良いのか・・・というわけで、アカデミー賞で起こった差別疑惑の話に移ります。

アカデミー賞受賞者の態度は、アジア系プレゼンターに対する差別か?

もしも、前年度受賞者(プレゼンター)が黒人だったら?

この件については、ご存知の方も多いかと思いますので、ざっくりとまとめますと、今年ある賞を受賞した男性俳優1名、女性俳優1名が前年度受賞者(共にアジア系)からオスカー像を受け取る態度が失礼すぎて、これはアジア系差別によるものなのではないか?と、一部で炎上しています。違ったアングルからの映像や、楽屋でのツーショット、本人のコメント等々が出てきて、差別的であるかどうか?の議論がなされていますが、個人的には、そレラは瑣末な議論だと思っています。というのも・・・

もし、前年度の受賞者(プレゼンター)が黒人、またはLGBTQだった場合、
2人の俳優は同じ態度をとったか?

について考えると、絶対にあのような態度は取らなかったと容易に想像できるからです。差別心があるとかないとか関係なく、彼らの態度は、通常運転的な”アメリカにおけるアジア系に対する扱い”そのものだからです。

オスカー像を渡すプレゼンターよりも、親しい友人が舞台上にいたから・・・とか、背中のホックが壊れていたから・・・とか。

仮に、プレゼンターが黒人だったとして、そんなことが言い訳になりえたのか?

これが特定の人種に対しての行為でしたら、今頃、大規模なデモが起こったり、キャンセル運動により俳優のキャリア全てが台無しになってしまっていた可能性だってありました。ですから、舞台上での態度は、もっと慎重になっていたはずです。

マイクロ・アグレッションなのか?

彼らの行為について、マイクロ・アグレッション(無自覚のうちにしてしまう細やかな差別行為)だという批判も出ているようですが、私はマイクロ・アグレッションよりは、もう少し積極的な攻撃だと思っています。相手が黒人であれば、誤解されないような対応をしたということが考えられる以上、そこには意識はなかったとは言えないからです。それに・・・

考えてみてください。悲願の受賞ですよ。
しかも、アメリカ国内だけではなく、世界中が注目している授賞式
受賞をきっかけに追加の興行収入だって期待できます。
そんな重要な舞台で、作品の代表者として、うっかりしすぎではないですか?

それに壇上に上がった人々は、パフォーマンスを最大限に評価されたような人たち。仮に、生理的に受け付けないという相手であっても、感動的なハグやキスの1つはやってのけることができるべき人たちです。差別心の有無関係なく、感動的なシーンが期待される授賞式でのパフォーマンスとしてお粗末すぎ

さらにさらに、近年のハリウッドは、一般人から見て、”行きすぎ”と感じられるほどの多様性を追求している業界でもあります。彼らのいう多様性に違和感があった者としては、上部だけの薄い人権意識が露呈してしまったね・・・という一言に尽きるのですが。

結局のところ、俳優らの態度はアジア系に対する差別かどうか?という問いに対して、正確に答えるのならば、先ほども述べた通り、あれは・・・

謎の多様性を謳うリベラル・エリートたちの
”アメリカにおけるアジア系に対する扱い”の通常運転

であり、もっと別の言い方でこれを表現するのならば、アメリカにおける差別問題に関する議論から外されがちなのがアジア系です。だから、以前にシェアさせていただいた、ハーバード大学VSアジア系住民(大学受験において、黒人・ヒスパニックを優遇するためにアジア系受験者が不当な扱いを受けた問題。詳しくは”トピックス一覧”から該当のリンクに飛んでみてください)のような水面下でたくさん起こるわけです。

差別された側が言うのだから、差別はなかった?

ちなみに、「差別されたとされた側が”差別はなかった”とするような投稿をしているのだから、問題ない」という意見もあるようです。これはアジア系住民がどうやってサバイブしているのか?ということを全く知らない人の意見だと思います。
特に今回の問題は、”白い業界”といわれるハリウッドでの出来事です。真実がどちらであっても、あのような声明を出す方が賢明だと思います。「あの時は辛かったです・・・」なんていう声明を出したところで、次の大役がもらえるわけではありませんし。騒ぎを大きくして面倒くさい人扱いされるよりは、”貸し”を作っておく方がプラスにならなかったとしても、マイナスにはなりません。プレゼンターの真意はわからないところですが・・・

”嫌な気持ちになった”という一時的な感情よりも、今後のキャリアが少しでもスムーズに行く方法を選ぶ

と言うのは、アジア系住民あるあるなので・・・。

念のため、アジア系以外の人たちが必ずしもしもアジア系にひどい態度をとってくるというわけではありませんし、アジア系差別をしてくるアジア系もいるのでアジア系が常に攻撃される側というわけでもありません。
アメリカに限らず、日本やその他の国でも、”自分よりも弱い”と思う人に対して失礼な態度をとる(攻撃をかけてくる)人は一定数いるかと思います。件の俳優2人は、その程度の人物だったということかなと。アジア系差別といっても、根底に必ずしもアジア系に対する嫌悪があるわけではありません。俳優らの態度は、”アジア系は、ぞんざいに扱っても大丈夫な人たちだからぞんざいに扱っただけ”という・・・。
「彼らは、アジアヘイトしている人たちではないから、あれは差別心からの行為ではない」みたいな意見もありましたが、辞書の中での”差別”の定義付けがどうであれ、黒人に対してしないことをアジア系に対してはうっかりしてしまう・・・のであれば、それは立派な差別だと思います。そして、これはマイクロ・アグレッションとはまた全然違うものであり、今回は、”アジア系に対する扱い”という表現を使っています。

・・・伝わりますでしょうか?お時間があったら、ハーバードVSアジア系学生の記事も読んでいただければ、もっとアジア系の置かれた状況を感じ取っていただけるのではないかと思います。結構びっくりしますよ。ということが前提にあっての、大谷選手の置かれた状況について、次回はシェアさせていただきます。

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