見出し画像

133「華氏451度」レイ・ブラッドベリ

168グラム。近未来、思想管理のために本が禁制となった国だ。民家に隠された本があると消防士の恰好をしたファイアマンがやってきて燃やしていくディストピア。ファイアマンっていうのだから火を消すんじゃなくて、つける仕事に決まってる、というブラッドベリの出オチギャグが響き渡る。

 いろいろと鼻に付くのではある。
 ざっくり言うと「本を読まないと馬鹿になるよ」というメッセージがうるさい。
 ええい、本を読むのがそんなに偉いのか。本でもテレビでもラジオでも、表現手段は時代とともに移り変わり、時代や技術などいろんな制約の中で人は連綿と表現と共感をして生きてきたではないか。
 この「エラそうでムカつく」という気持ちは、たぶんブラッドベリが読者に体験させようとして書いているものでもあり、思う壺とは思うが正直本当にいらっとする。

 「四六時中垂れ流されるテレビによって馬鹿になっちゃった女」の描写として、帝王切開で子どもを二人産んだ女性を描き、さも低能そうな感じで「出産の苦痛を味わう必要なんかないんですよ」と言わせているのなども、根拠のない悪口を聞かされているようで嫌な気分になる。
 イメージだけで医学の進歩を否定するのも反知性主義のひとつなのではないか、などなど。

 とはいえ、この本には人の気持ちを真剣に波だたせるものがある。
 自分の事を考えても、スマホを手にするようになって、情報が手の平の中で四六時中更新され続けることに慣れるようになってから、本を一冊読み通すための集中力が格段に落ちた。
 時間をかけて本を読むよりも、手軽にものをわかったような気持ちになれるネットの情報を次から次へ飛び移っている方を選ぶほうが楽しいかもしれない。……馬鹿になっているのか、私は。

 ファイアマンでありながらふと本に対する興味が芽生え、本を焼くことに疑問を感じはじめた青年モンターグに対して、昇火局の署長は、実にいいことを言う。

平和が一番なんだ、モンターグ。国民には記憶力コンテストでもあてがっておけばいい。ポップスの歌詞だの、州都の名前だの、アイオワの去年のトウモロコシ収穫量だのをどれだけ憶えているか、競わせておけばいいんだ。不燃性のデータをめいっぱい詰めこんでやれ、もう満腹だと感じるまで”事実”をぎっしり詰め込んでやれ。ただし国民が、自分はなんと輝かしい情報収集能力を持っていることか、と感じるような事実を詰め込むんだ。そうしておけば、みんな、自分の頭で考えているような気になる。動かなくても動いているような感覚が得られる。それでみんなしあわせになれる。なぜかというと、そういうたぐいの事実は変化しないからだ。哲学だの社会学だの、物事を関連づけて考えるような、つかみどころのないものは与えてはならない。そんなものを齧ったら、待っているのは憂鬱だ。

 わかる。
 インターネット大好きなので、あんまり悪口を言うものでもないとは思うが、事実、インターネットという情報過多の海には、断片的知識のマニアと、わからないものに対する嫌悪感が顕著に目に着く。
 本を焼いてまわるこの署長は、インターネットいうものがある世界の人ではないが、人間の中に本来的にひそむこのような反知性主義にちゃんと気付いている人なのだ。
 なぜか。本を読んでいるからだ。
 自分の中に語彙があるので、人と違うことを考えることができる。何かがおかしいときに気付くこともできるし、必要があれば理論で人を説得することができる。だから署長は結構いい事を言うのだ。

 本を読みたくなる小説であるとともに、「本読んでるからってなんか偉そうにしやがって」という反感をも掻き立てる、なかなか容易ならぬ一冊である。
 理解できないものも受け入れて考えられる知性を持とう。そしてやっぱり本は読もう。

この記事が参加している募集

推薦図書

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?