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130「挟み撃ち」後藤明生

161グラム。「内向の世代」とか「物語の拒否」とか言われるから、なにか退屈なものを読む羽目になるのか、と身構えつつ開いた。びっくりするほどおもしろかった。ああ、私も今よりもうちょっと物語から解放されうるのかしらん。

 しばらく前にテレビでちらっと見かけて気になったのは、木製のきのこ型だった。穴のあいた靴下をかぶせて繕い物をするための道具だ。カラフルな刺繍糸を使って繕えば、偶然によるデザイン性が生まれるダーニングという手法。

 「ああ、これこれ、そういえば」
 古いサザエさんの漫画で古電球に靴下をかぶせて繕い物をするのを見たことがある。あの時は「なるほど球体を使えばうまくできるのか、やってみよう」と思ったのだけど、そうそう都合のいい時に古電球が手元にあるものでもなくて、なんとなく記憶の引き出しの底のほうにしまっていた。

 ネットで「ダーニングマッシュルーム」という商品名を探り当て取り寄せてみる。放置してあった「繕う必要のあるもの」は家の中にたくさんある。猫の爪がひっかかったこたつ布団カバー、縫い目がさけかけているクッション、ジーンズの穴、寝間着にしているTシャツのほつれ。ひとつずつ木型にはめてほころびに糸を織り込んでいく。ほつれても繕ってまだ使いたいものは、それなりに張り込んで買ったものが多い。

「しかし、生地はええのを使うとるよ」
と母はいった。
「もったいない話ばい。あんなバカみたいな戦争に、人間も品物もみいんな持って行かれたとやからね」
 外套の裾は、母の手によって縮められていた。やがて、その兵卒用の外套は、五尺四寸のわたしにぴったりの外套になるのだろう。わたしは黙って外套を見ていた。

 『挟み撃ち』は20年ほど前に着ていた旧陸軍の外套のことがある日急に気になって、その記憶をたどって歩く男の話である。終戦後の混乱期、上京用にと母がどこからともなく工面してくれたらしい外套。探しだしてどうしようというわけではない。ただ「気になった」というだけで、ありもしない外套の後を追う。あの、ゴーゴリの下級役人のように。

 きのこ型を手に入れて繕いものをはじめたら、繕い物というジャンルが気になってアーカイブで「プロフェッショナル 仕事の流儀」のかけつぎ職人のドキュメントまで見てしまった。
 かけつぎは、ダーニングのように刺繍糸で修繕するのでなく、素材の不要なところをほぐして糸を取り出し、それで修繕することによって繕い跡をまったく見えなくする魔法のような職人技だ。
 いくらかかってもいいから修繕してほしい、というボロボロの真っ赤なカーディガンが持ち込まれる。かけつぎ職人は修繕しながら左袖口ばかり不自然に集中して痛んでいることに気付くのだ。
 「左をこする癖のある人なのだろう」
ほころびの修繕のあと、左袖を補強する細工までして、依頼主に返す。
 カメラが追っていった依頼主は、脳梗塞で右半身が麻痺して車いす生活している女性だった。結婚するとき母が買ってくれたという真っ赤なカーディガンをみて新品のようになったと泣く。修繕だけでなく、長く着るための補強までしてあることは、誰もわざわざ言わない。
 愛された赤いカーディガンを見ていたらうかつにもちょっと涙が出てきた。

 新興のマンモス団地でマイホームパパ生活をしていた「わたし」がある朝突然20年前の軍用外套が気になって、丸一日かけて外套をめぐる巡礼をして歩いてしまうのは、みかけほど「突然」のことではない。
 私がテレビでちらっとみかけたダーニングマッシュルームをすぐに取り寄せて、古いものをいろいろ直し始めるのも、たぶんそんなに突然起こったことではない。愛された赤いカーディガンが日本一のかけつぎ職人のところに持ち込まれるのだって、突然に見えても突然ではないはずだ。

 実際の生活は「小説のように」因果関係を追いかけながら一気呵成にエンディングに向かって進んでいったりしないし、うまいところにカタルシスが仕組まれていたりもしない。だからといって偶然おこってるようにみえることが、本当にぜんぶバラバラと無関係に起こってるわけでもない。
 あるときふと気になったものをきっちり気にしてみると、玉手箱のようにいろんなものが雲となっていっせいに湧き出すことがある。

 繕い物をして、後藤明生を読んで、繕い物をして、後藤明生を読んで。「しかし、生地はええのを使うとるよ」「もったいない話ばい」。また繕い物をして、後藤明生を読んで、繕い物をして、後藤明生を読んで。
 非常に楽しい読書体験。

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