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読んでない本の書評94「肉体の悪魔」

 129グラム。15歳の少年が19歳の人妻を妊娠させる話。帯に「この本は高校生にオススメ!」と書いてあるのがちょっと笑える。わざわざ選んでススめることもないんじゃないか。

 バブル時代、カロリーメイトのテレビCMで「椎名桜子 作家 ただいま処女作執筆中」というすごいコピーがあった。
 そんなことあるものか、処女作完成してないなら作家じゃないだろ、と言ったら負けの狂乱時代のゲームだった。あの処女作は完成したのか。

 処女作と遺作しか存在しない天才というのは文学史上、現実にいるようだ。早熟の天才と言われたラディゲは『肉体の悪魔』による華々しいデビューの直後20歳で夭逝し、愛人ジャン・コクトーを10年にわたって阿片びたりにするほど悲嘆にくれさせた。
  読んでいて、いやにコクトーの『恐るべきこどもたち』に似てると思わされるのはそういう理由だったのだ。

 ひどく頭は良いらしいが異性に対してはごく平凡な欲望を持っている15歳の少年が人妻マルトに恋をする。折しも第一次大戦がはじまり、日常の空気が変わる。大人たちは浮足立っており、19歳の新妻マルトは夫の出征のせいで一人暮らしの生活。猫とチーズを隔てる「ガラスの壁」が取り払われた時代の空気の中で少年はブレーキのないままに欲望の世界に向かってまっすぐ進む。

 少年の成長譚ではあるが、この少年は何かを戦って勝ち取ることはしない、立ちはだかる父親を乗り越えることもなく、いかなるイニシエーションも迎えない。ただ、行き当たりばったり人の目を盗むだけだ。

 大人たちの目を盗みつづけた結果、マルトとの間に不倫の子が生まれる。全員の事なかれ主義を曖昧に経由した結果、赤ん坊は夫ジャックの子ということにされるが、あろうことかマルトは「僕」の名前を付けるのである。
 マルトは出産で死に、夫のもとに赤ん坊がのこされる。夫以外は全員が「僕」の子であることを知っている。
  事情をしらないまま、用事で「僕」の父を訪問してきた夫ジャックの様子を、「僕」はこっそりと盗み見するのである。

「妻は亡くなるとき、あの子の名を呼んでいました。かわいそうな子です!でもあの子がいるからこそ、私も生きていけるのではないでしょうか?」
 妻を亡くし、これほど誇り高く絶望を克服する男を見て、いつかは世の中の秩序が 自然に回復していくことを悟った。マルトが僕の名を呼びながら死んだこと、そして、僕の息子がまともな生活をおくるだろうということ、それをたったいま僕は知ったのだから。

  信じがたいほどひどいラストである。やがて戦争が終われば大人たちも自分の責任を果たす日常が戻るだろうから托卵した息子はちゃんと育ててもらえるだろう。マルトが最後に呼んだのは赤ん坊の名前でなくて、実は僕の名なんだよん。などと言ってる場合か。
 この小説中に出てくるまともな人間は出征していたジャックだけだ。血をひかない子を、だまされたまま育てる覚悟を決めている。

 「僕」は「僕」で、戦争というモラトリアムさえ終わればしかるべく大人になり、しかるべく責任をとる家庭人に納まっていくつもりなのだろうか。
 あまりにもひどくはあるが、少年以外も全員ひどいので、むしろすくすくとなるべくして成長したのではある。
 開戦時11歳だったラディゲが見た第一次大戦の空気が「誰も責任とらないんだな」ということであったなら、ありふれた不倫に仮託したあまりにも見事なラストシーンなんだろう。
 それにしても全員倫理観が麻痺していてちょっと怖い。

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