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社会の主体性を殺す「食べていけない」という病い


※本投稿は元々書いた内容をそのまま出しても面白くないのではないか?という疑問があったので、あえてコテコテの関西弁で書かれています。言い方がきつく見えるかもしれませんが、それもすべて関西弁のせいです。

こないだ、Newspicksでこんな記事が上がとってがっつりコメントも書かせてもろたんやけど、全然言い足らんなってなったから、余計な口出してみるっていうのがこの投稿の内容や。正直、ワイ若造やし「ふざけたこと抜かすな!」とかあっても優しく見守ってほしいんやで。(よし、これで厳しいコメントは来んやろ)

以下元記事やで
「もう図書館で働けない」 非正規雇用で10年働いた司書が天職を辞めようと思った理由

https://www.bengo4.com/c_23/n_10002/

まず、前提やねんけどワイは別に「この世すべての仕事に価値はあるんや‼」とかそういうことが言いたいわけやないねん。実際に技術革新で社会で不要になった仕事も一杯あるし、むしろ「なんでこれ人間がやってるん?」って仕事は無くなったほうがええと思う。じゃあ、何が言いたいねんっていうとこの記事見て「まぁ儲からんってことはいらん仕事ってことやろ」って断ずるのは危ないんちゃうかって話やねん。

せやから、司書って仕事がどーやこーやって話はここでは一旦置いとく。あしからずやで。

価値がない仕事=儲からない…?

斜陽産業ってもんがある通り、最近食べていけなくなってる仕事って多いと思う。実際そん中には完全に需要無くなってもうたって仕事もあると思うんやけど、全部が全部そうか?ってところを疑いたいねん。

例えば、最近食べてけんくてやばいってなってる職業に【小説家】って仕事があるんや。正式な数字は出てへんからワイが勝手に見聞きしたデータしかないんやけど、だいたい平均年収って200万から300万が大半やねんて。まぁ、出版不況って状態ならそうかって話やねんけど、じゃあそんな小説家って儲かってないし、いらんくなったんかっていうとワイはそうは思わんねや。

「稼げない」は個人の問題?

食べていけへん‼って原因は様々やと思うんやけど、昔から続いてる仕事って大半がビジネスモデルもそのまんま来てるのが多いと思うねや。司書はんの問題は、図書館って公営が大半でお国からのお金が厳しなってきたから非正規職員にして節約せなってことやろ?(もし、実は余裕あるけど人件費出したくないとかならシバかれたらええわ)

これって、個人の働き方とかの前に時代も変わったんやし、お金の流れが変わるのも当たり前やろって話やと思うねん。

司書はんって図書館全体の管理とかが仕事らしいんやし、有料で個人の本を保管してあげるサービスとか入場料取るとか、本のテーマパーク化をするとかやり方は色々あると思うねん。現状、お金が回ってなくてもビジネスモデルを変えるなりすれば可能性あるんちゃうん?って話やね。

稼げへん問題を個人が解決しようとするより、構造変えて全員がハッピーになるほうが手っ取り早いんちゃうんかって思うねや。

「やりたいことを仕事にできるのは一部の人間だけ」と言ってきた今

生きていくには金がいる。せやから、職業選ぶときとか進路考えるときもお金に困らんように考えるんは大事なことなんやと思う。実際、多くの人がお金を取るか、夢を取るかみたいな選択をしてきたんやと思うんや。そんで「現実見ろ」って言われて、少しでも安定してそうな道を選ぶってパターンやと思う。その選択が良いか悪いかワイには決めれん。ここで大事なんは、そう決めて進んだ先で自分は幸福って本気で思えるかどうかやと思うねん。

モチベーションって他人に管理されなきゃいけないの?

ワイは仕事が楽しいかどうかってめっちゃ大事なことやと思うねん。だって、人生の半分以上仕事してなあかんわけやし、そこが楽しくないとか良くないやん。せやけど、ほんまに心から今やってる仕事楽しいし誇り持てるって人は少数になってもうてる。そうやなかったら、こんなけ組織論とかモチベーションとかで経営者悩まんやろうしね。

日本はちょっと前から生産性が低いとか言われてきた。でも生産性ってどうやったら上がるかってめっちゃ簡単やねん。みんなが仕事にやる気を持って動く。それだけの話やん。正直、やる気って外部から干渉されてどうこうって限界はあると思うねん。

もちろん、社員のやる気を上げるっていう考え方は必要やし大事なことや。せやけど、職種自体がどうしてもテンション上がらんとか人間がやるのに向いてないってあると思うねん。それなら最初から興味あることがちゃんと仕事につながってるほうが根本的に良いと思うねん。

やりたくないことをやるのが仕事だ、という思考放棄

もうちょっとだけ口出すと、こういう話題になったら必ず「やりたいことは趣味でやれ。やりたくないことをやるのが仕事だ」おじさんっていると思うねん。これめっちゃ正論やとは思うんやけど、これ言うても社会は良くならんとワイは思うねん。

むしろ、社会を良くしたいなら「やりたくないことやり続けんのしんどいし、せっかくならやりたいことが仕事になるように仕組みを考えよか」って言うほうがかっこええやん。

個人の生き方を疑う前に構造を疑え

ワイは、みんなが主体的に生きて楽しく笑ってる社会のほうがええと思うし、日本の未来にはロマンがあってほしいと思ってるんや。

せやから、こういう「志もやる気も誇りもある。けど、現実はそうはいかない」みたいなん見るとなんでや!って思う。しかもそれが個人の努力のせいにされて、「普通のパンピーはやりたいこと仕事には出来んのやで」って賢しげに言われんのはおかしいと思うねや。

もちろん、努力してやりたいことを仕事にした人たちもおる。そういう人らがすごいのはようわかる。やけど、だからといって、他の人が同じように生きたあかんわけやないと思う。

少なくとも、人は幸せに生きるために生まれてきたんやし、できるだけ多くの人が楽しく安全に生きれるように社会ってもんを形成したんやと思うねん。

少なくともワイはそういう社会にしていきたいから起業家やってるし、今も作家の人やクリエイターが生きていきやすいように構造変えるためのビジネスを作ろうとしとる。

結論
そろそろ「やりたいこと」と「食べていくこと」がトレードオフになってまう社会から「やりたいこと」やってたら「食べていける」って社会構造を作ろうや。


ワイが言いたいのはこんなところや‼
ここまで読んでくれた方々、おおきに‼

近々、クラウドファンディングもやるし応援してもらえたらめっちゃ嬉しいで‼

ほな‼


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