見出し画像

自己嫌悪から始まる『渇望』の話。

2024年最初のnoteがこのタイトルってなかなかキレッキレな開幕ですが、ちょっと久々に自分を振り返る機会がありまして。
最近あまりこういう話を外に出すこともなかったので、書いておこうかなということで残します。

まず、初めて僕の記事を読むって人や、意外に知らないって人もいると思うので自己紹介を簡単に書きます。

オタクペンギン社長、今年で31歳になります。
経歴的には大学受験を失敗しまくって二浪した結果、なぜか進学もせず就職もせず『一発逆転起業家ルート』を進むぜ!って考えて、そのまま10年起業家としていろんな会社や事業を作ってはぶち壊しを繰り返して、さんざん悩み抜いた結果、4年半前くらいに今の会社であるBookBaseを立ち上げて、経営者やりながらラノベ編集者もやっているという七転八倒ぶりを繰り広げています。

振り返るとなかなか濃い人生だなとは思いますが、僕ほど『大したことない』やつもいないなぁとずっと思ってます。
ただ、これでも起業家として動いていくなかで、多少成長できたかなと思うことがあり、それが『渇望』を持てたことです。

夢とか、志とか、目標とか、まぁどんな言い方でもいいんですが、僕の中ではその根っこになるものとして『渇望』があって、それだけで僕はなんとか人生を楽しめるようになったなと思います。
逆に、いろんな人とお会いして喋るなかで、『起業家のなり損ない』みたいな人もいて、そういう人と僕自身の違いは何かなと考えると、この『渇望』に行き着くことが多かったり、逆に今の仕事をしているなかで『この人面白いなぁ』と思うクリエイターの方にお会いすると、その共通点に似たようなものを持っていたりします。

わかりやすいスキルや才能があるに越したことはないですが、そういうものを持たずに生まれた身として、それでも『何者か』になりたいと願う人間の唯一の武器になるのが、この『渇望』なわけですが、それってなんなんだろうなと少し考えてみようかなと思います。

コンプレックス以外に何もない。

これは今もそうなんですけど、生まれてから今まで何かわかりやすいスキルや才能を持っていたわけじゃなかったんですよね。
これはスペックに意味でもそうですし、環境的なラベルでもそうです。

実家は裕福ではなかったですが、両親は頑張って僕を育ててくれましたし、引きこもりになったり、自傷行為したりとかもなかったです。(色々考えて、生きてる意味がわからすぎて死にたい…みたいなのはありましたけど、まぁそんなんは中二病みたいなものなのでノーカン)

なので、僕自身の生まれやスペックで言えば『可もなく不可もなく』ってところで、勉強もそこそこ上位にはいましたけどが抜きん出たわけでもなく、なにか部活とかに打ち込んだというほどのこともない(所属は色々してましたけどね)という、本当にうっっっすい生き物だったな…と思います。

生徒会にいたり、高校の頃に『地平線部』という謎すぎる部活の部長やってたり、よくわからないことはたくさんしてましたけどね。(爆笑

まぁそれらを含めても、ただ何もできていないくせに『自分は何者かになれるはずだ』と勘違いだけしてプライドを持ってる、クソ痛い人間であったのは間違いないです。
理想と思想だけは一端で、ただ現実と成果で見れば何もできていない。そんな普通の人でした。

そんな自分だからこそ、たまに見かける『本物』に対してのコンプレックスは尋常じゃなく…。
それこそ数歳とかからスポーツとか、アートの領域で打ち込んでいる人や、圧倒的に勉強ができる人とか、自然と人とは違う道を歩んでいる人とかを見かけると、自分との『差』に絶望することはよくありました。

なんかもう生き物としての差みたいなのを感じるんですよね。
どう生きるのかを決めていて、そのための積み重ねをし続けている人間って、もう強くて強くて…。

そういう人と自分を比べたりしながら、ひたすらに自己嫌悪しつつ、それでも捨てられないプライドのために自己正当化の術だけに長けていくという人生でした。
それが変わったというか、吹っ切れだすのが『受験の失敗』でした。
それまでは一応、高校のなかでもそこそこは賢いみたいな立ち位置で、頑張ればそこそこできるって感じだったんですが、別に勉強が好きってこともなく、適当にやっている自分を自覚していたのもあり、二浪目くらいになって『これに時間費やす意味あるか?』みたいなことに至った結果、『俺って馬鹿なのか』ということを認めるフェーズに入りました。

ノーリスクハイリターンな人生

なにかを持っているかと思っていたが、実際には何も持ってなかったっていうことを自覚したんですね。
で、ここで落ち込むとかではなく、なぜか『じゃあなんでもできるな』みたいなポジティブな方向で考えたんですよね。
昔から『生きてる意味がないなら死ねばいいのでは?』と考えて、『でも、せっかく死ぬなら死ぬほど負債抱えるまでやるほうが得だなぁ』とか考えるくらいには恥知らずだったので、まぁなんかそういう考えにいたんでしょうね。今思うと、負債返さず死ぬとか迷惑以外の何者でもないと思いますが。

まぁしかし、そこで『何もないなら失うものもない、だったら行動するだけ得やんけ』というノーリスクハイリターンな人生になることに気づいたんですよね。まさに若さだなぁと今なら思います。

で、起業家になるわけですが、これもまた結局は同じコンプレックスに苛まれることになるんですよね。
てか、起業家なんてそれこそ天井知らずの世界で、20代で上場したような傑物がゴロゴロいるような世界で、同い年で『Forbesが選ぶ〇〇』とかに入ってる人もいたりで、やっぱ俺も大したことないなぁと思い続けるわけですが、このあたりで『自分が本当にほしいものってなんだろう』みたいなことを考えていくことになります。

しっくりこない『志』

20代で起業とかしてると、結構『若いのにいいね!ちょっとご飯でも行こう』みたいなのが結構あるんですよね。
で、それで経営者におっさんを紹介してもらったりしていろんな人に会うんですが、そのなかで僕の『何もなさ』を見抜く人も一定いるんですよ。

そういう人はだいたい『君は残念だね』とか『元気だけあるね』とか『志ないの?』とかまぁ散々言われて、泣く羽目になるんですけど、自分でもそのことに自覚はあったんですよね。

で、志とか大事らしいっていうので、そういうこと考えたりして、なんかそれっぽいものを考えたりしたんですが、どうにもしっくりこないんですよね。

まぁそれも当たり前で、僕の始まりは『何もない』から始まってるんですよね。意識高い系の人たちでいうところの『原体験』ってやつですが、それがないんですよね。なので、今から志とか考えても後付でしかないわけです。それは本物にはなり得ないな…ということに気づいてたんでしょうね。

とはいえ、本当になにもないのかっていうとそうではなく。
やっぱり、昔からずっとあるのは『今の自分に対しての自己嫌悪』なんですよね。
虚栄心ばかりを持った矮小な自分に対しての嫌悪。
バカにもなりきれず、だからいって抜きん出て賢くもなく、ただ小賢しいだけの自分。
そんなものにしかなりきれない自分がただただ嫌いだったんですよね。

認めて、立ち向かうための一歩

自分を正しく見極めるというのは至難の技だなと思います。
というか、人間なんてだいたい大したことないですし、嫌なところなんていくらでもあります。そんな自分の本性をわざわざ引っ張り出して自覚して苦しむくらいなら、目を背け続けて逃げ切ったほうがよっぽど賢い生き方だと思います。
その選択肢も自分にはあったんだろうなとも思います。

ただ、やっぱりうっすら自覚はしているものですからね。
少しずつ 少しずつ、日常のなかで垣間見える『嫌な自分』に苛まれて、少しずつ自分を嫌いになっていくのが、僕にはどうにも辛かったんですよね。

なので、まずは徹底的に自分の嫌な部分を自覚して、その上で少しでもマシな自分になれるように行動したりしました。
まぁどれだけ変わろうとしたって、全く新しい人間にはなれないので、変わり切ることはないんですけど、それでも『等身大の自分』を認められれば、『良いやつ』にはなれたりします。
そうすると、普段の言葉や考え方も変わってきますし、だめなところも含めて自分を愛せるようになったりします。

そして、その上でちゃんと一歩進めるようになったりします。
それこそ自分が怠惰なことを誰よりも知っているからこそ、それを自分で叱ったりしながら進んだり、少しでもやる気が出るようにコントロールするみたいなこともできます。
そういうことができるようになると、ちょっとずつ自分を許せるようになるんですよね。

弱い自分を正当化したりするだけでは何も変わらない。
なので、まずは自分の弱さを自覚して、嫌悪する。そこから、頑張っていけば少しずつ自分を許せるようになる。
それが10年も続けば、気づけば変化しているみたいなのが、成長するということなのかなと思ったりします。

渇望せよ、人類。

そんなこんなで、今日も今日とて、僕は許せる自分でいるために頑張って仕事をしているわけですが、やるべきことを見定めるのもとても大切なことです。

なりたい自分や、どうありたいのかが定まれば、自然とやるべきことも見えて来ます。

僕の場合、BookBaseという会社を大きくして、ラノベの真価を世に知らしめることです。
とてもとても難しいです。でも、こんなちっぽけな僕の人生を賭けてやれるなら、こんなに割の良い賭けもないなと思います。

そんなやりがいのある賭けに、命張って、頑張れている自分であれば、僕は僕を許せます。

日和って、守りに入って、目先の利益に走ってしまえば、また僕は僕を許せなくなるでしょう。

僕は僕を許したい。その『渇望』をジリジリと燃やしながら、今日も無理難題に挑んでいこうと思います。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?