PLとPCという考え方をVTuberに持ち込むと何がいいのか

やっはろ!ノラネコPだ。

今日は自分がTwitterでもたびたび口にする「PLとPC」という考え方について話したいと思う。主にTRPGやPBW等で使われている言葉なのだけれど、この考え方を意識しておくと、VTuberをやる側・見る側双方にとっていろいろと便利なのだ。
もちろん全てのVTuberに当てはまる話ではないので以下の概念はあくまで「PLとPCの話」として聞いてほしい。

そもそもPLとPCとは

PLとは「プレイヤー」。VTuberで言うと中の人とか魂とか言われる奴。つまりはキャラクターを動かす人間のこと。
PCとは「プレイヤーキャラクター」。PLの動かすキャラクターのことで、視聴者が見えているVTuber自身、がコレ。

これだけだと、単にVTuberとその魂の用語の言いかえに過ぎないのではと思うかもしれないが、少し扱い方で異なる部分があるんだ。

PLとPCを同一視してはいけないという大前提のルール

PLとPCには大前提として一つのルールがある。
見出しにも書いた通り「PLとPCを同一視しない」というものだ。

なぜこんなルールが存在するのかというと、TRPGやPBWでは「物語上完全な悪役を行い憎まれ役になるPC」や、「物語上恋愛関係になり愛を育みあうPC」等がバシバシ出てくるからだ。
PLとPCを過度に同一視すると、話を盛り上げるために悪役PCをやってくれているPLに対立するPCのPLが本気で憎しみを向けたり、恋愛関係になったPCのPLに向けてリアルで交際を持ち掛けてトラブルに発展するなどそれはもう様々な問題が発生するからである。
(というか、してる。)

よって、PLとPCには決して同一視するべからず、という強いルールが自動的についてくる。これが大事なところだ。

PLとPCを同一視しないと何が便利なの?

ぶっちゃけ言わせてもらおう。

VTuber界隈は「中の人などいない」と「結局中の人やんけ」に二極化しすぎである。

極端に中の人の存在を軽視するかキャラクター性を軽視するかの考え方がどうにも多いように見える。
PLとPC、という考え方は中庸にキャラクターとそのプレイヤー両方の存在をないがしろにせずに認めることのできるものだと自分は考えている。

PLがいる、という前提でPCが存在する。
しかしそのPCはPLとは独立した存在で、同一視されるべきではない。

こうした考え方をVTuberに当てはめるのが、自分は(よいか悪いかではなく)「便利」だと思っている。

例えば
PCには中の人など居ないと言わせつつPLとして意見を発しても矛盾がない
→PCはPLの存在を意識できないため
悪役・悪人のキャラクターを活躍させられる
→PCの人格はPLの人格と無関係のため
PC同士の恋愛関係が安心して構築できる
→PC同士の好意とPL同士の好意は無関係のため
PCで発生したヘイトがPL側に波及しにくい(あるいはその逆)

などなど、色々と運用上楽……というか便利なのである。

先に学べ VTuber界はまだ若い

VTuberという界隈は、あらゆるコミュニティの中でもまだめちゃくちゃ若い部類だ。
なので、これから様々なトラブルや問題、みんなでお気持ち表明をしたくなるような事態が起こるだろう。
ただ、自分はそれを10年20年以上も続くTRPGやPBWからの考え方である「PLとPC」を参考にすることで少し防ぐことができるのではないか、と考える。これらも基本はキャラクターのロールプレイを基本とした世界であり、VTuber界隈よりもはるかに長い間続き、そしてはるかに多くのトラブルを発生させては「ルール」「マナー」として定めてきた世界だからである。

問題が起こり、それを解決して方法論化していく過程は、どの界隈でも必要である。
だが、既にそのトラブルのいくつかを肩代わりしてくれた界隈があるのならば彼らの「失敗」と「成果」を受け取って活かしてみるのも、良いのではないだろうか。

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