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ステアウェイ・トゥ・行徳富士

 今週末もまた、男はマックスコーヒーを片手に、夜明けの東関東自動車道を走らせていた。トラックだけがまばらに走る自動車道で、男は窓を開け、ふしくれだらけのよく焼けた腕に、ひやりとした風を感じていた。
 うすら明るい空には茜雲がぽつりぽつり。ベイFMによれば、これから一週間はとびきりの晴れが続くらしい。男は髭面をくしゃりと曲げほくそ笑み、流行りのチューンに併せ軽くリズムを刻む。
「よぉ友人、今日も飽きずにこっち来るのか?」
 湾岸千葉を過ぎたころに、友人から着信。
「当然。有休申請もさっき済ませた。今日から九日間、おれは自由だ」
「マジかよ、今回は本気だな?」
「いままでだって本気さ、ただ時が来なかっただけさ」
 ハンズフリーで会話を続けながら、自動車道をひたすら上る。湾岸幕張PAから京葉市川ルクラPAまでその標高差2856m。そこから行徳街道を上り続け、友人の待つフォルテ行徳ベースキャンプの標高は5634m。この世界最高標高のショッピングモールは、5年前に発生した地殻変動の結果、新世紀の登山ルートとして、数多の登山家と観光客を受け入れる世界的観光地となった。
 空が白じみ、茜雲はひとつふたつ。湾岸市川ICを通過し、ゆるく左に曲がる。リズムを刻む手が止まる。不意に、男の視界を二等辺三角形が埋め尽くす。海抜ゼロメートル地帯に、本来ならばあり得ない、あまりに巨大な三角。普段ならば分厚い雲が覆うその山頂を、赤く、するどいその頂点を、男は目に刻む。
「……お前も見たか」
「……ああ」
「今日しかないよな」
「今日しかないな」
「駐車場、空けておく。九日ぶんな」
 東京湾から真っ直ぐに比例を描く山嶺。暁に染まる純白の山肌。すべてが美しい。自然の偉大な気紛れが、歴史なき霊峰を産み出した。
 行徳富士、標高8999m。その頂きにたどり着いた者は、まだいない。

【続く】

#逆噴射小説大賞2023

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