見出し画像

インドで絶対にインド人を信用するなってインド人が言ってた~インド旅行記4 :敵、味方、医者


2010年11月6日7:00頃

バンドラ・ターミナスという駅についた。
とりあえず日本からネットで手続きをしておいた列車のWL(ウェイティングリスト)のままのチケットを持ってカウンターに行く。
現在の自分の待ち番号を確認する為だ。
この地点で私はまだ列車の席に座る権利は得られていない。
キャンセルが出る度にWL番号はくりあがり、やがて席を確保できるという仕組みだ。
WLのままでは列車には乗れるが席は無いという事になる。
いや席はあるが噂の「ドキッ★インド人だらけの椅子取り合戦!」に参加してインド人を押しのけ席を確保し、16 時間ぐらいエアコン無しの列車で蒸されながらジョードプルに運ばれなければならない。
避けたい。やめてほしい。

インド人の常識として、彼らは列には並ばないという事がわかってきた。
他人が順に沿い並んでいても、目の前の人や列は見えないので平気で自分の目的をさっさと果たす。
つまり私が駅員と話をしていても平然と割り込んでくる。
駅員も「あなた割り込んじゃダメよ、ちゃんと待ってね」と言うつもりはさらさら無くすんなり割り込み者に対応する。
何度も殺意を沸かしながらなんとかしてカウンター越しの駅員を確保し繰り返し確認したところ、私はWL81番目。81番?これってやばいんじゃない?これもうWLのままなんじゃない?
椅子取り合戦やだなあ・・・仕方ないの・・・?
事態に何ら好転は無いが、やるしか無いよなと自分の中で一段落した途端に無性に身体を洗いたくなった。
丸一日お風呂に入っていない上に汗もかいたので身体がごわごわする。
自分の皮膚が別の物のように感じる。できるならもう着ぐるみのように脱ぎ捨てたい。
できるならもう帰りたい。
ウェイティングルームへと向かう階段を上る。WLのままだが一応指定席のチケットを持っている私はそこのトイレ・シャワーを使い時間まで待つ事ができる筈だ。
階段を登りきると複数の部屋がずらーっと目の前に並んでいた。どれかしら、としげしげ扉を一つ一つ眺め一番奥端まで歩き判断つけかねていると
「ヘイ!」一つの部屋の前に男が立っていた。男が手招きこっちにこいここへ入れと扉を開ける。
ひょいと覗くと、ひんやりとした冷気が顔を撫でたと同時に中央のソファにゆったりと腰かける数人が見えた。
極楽やん。
吸い込まれるように部屋に入ると男が私に名前とチケットの番号を訪ね、テーブルにあったノートに記入した。そして
「10ルピー。」
ああはいはい、入場料ねと10ルピーを渡す。
男が去り、部屋の椅子にバックパックを下ろす頃には「ああ、これ勝手にサービス人だわ」としみじみ思っていた。
入場料とか取られないはずだもんああまたやられた。
皮膚のごわつきが増した。

駅には誰でも使用可能なトイレと、ウェイティングルーム内に専用のシャワー兼トイレがある。
誰でも使用可能なトイレは近寄ることすらためらわれた。
入るなんてとてもじゃない。攻撃的な刺すようなツンとした匂い、入口半径五メートル付近の床がトイレ内部から流れ出している得体の知れない液で濡れておりビチャビチャ。壁を這い上がるようにわけわからんものがゴミとして積もっている。世紀末ここに有り。「末期」そんな言葉が浮かぶ。
遠目にちらと見ると男がシャワーを浴びていた、表示によればそこは女性用のはずだ。
問答無用か。
ルールなど無い。これから、しばらくは。

此処はとうに医者が匙を投げた末期患者。そんな感じだ。
ただここの末期患者はたくましい。どうしようもなく。
健康な私がとても弱々しい。
ウェイティングルーム専用の方は清潔でほっとした。
清潔とはいってもインド基準であり、今のところ私の知るインド基準の「きれい平均」は日本の「うすら汚い」であるので此処にもし日本のショッピングモールのトイレがあったらシャワーが無かろうと喜んでそこの洗面台で丸裸になる。
インド基準の清潔なトイレ兼シャワー室で身を清め、人間に戻れたようで身も心も軽やかになった。
軽やかになりすぎて思考は湯船が懐かしいな〜帰ったら温泉行こうかなとインドを離れ日本へ帰っていた。
半ば幽体離脱状態でソファに座っていると先にくつろいでいたインド人達に話しかけられる。
中年のおっさん四人と一人のおばさんという1グループらしく、彼らは皆落ち着いた雰囲気を持っていた。全くギラギラしておらずこれまで出会ったインド人の誰よりも穏やかな顔つきだ。
ハンターの顔ではない。
今にも「私たちはお腹いっぱいだから君これを食べないかね」と菓子を差し出しながら言いそうだった。
この部屋は二等寝台のチケットを持つ者しか入れない。
よって、ここにいるのはインド人の中でも比較的裕福な人達かもしれない。
彼らは「同じ列車だから時間になったらホームへ一緒に向かおう」と誘ってくれた。
が、私のチケットがまだWLなのを知ると、一斉に互いの顔を見合わせざわついた。
私のチケットはリレーのようにぽいぽいおっさん達の手を渡り、それぞれ、おっさんの顔は番号を見る度に険しくなる。
どうやら今度は私が末期患者らしい。やばそうだ。
彼らは各々の携帯電話を使いネットでチケットのWL番号を調べると、更に険しく眉を寄せ真剣な目になった。
「これじゃ乗れないかもよ」
おっさんの内二人がすっくと立ち上がった。
「これから駅員と交渉するからついておいで」
その親切さに驚きながら、大事になったな、と思った。
なるようになれと思ってはいたが、席を確保できるならありがたかった。
おっさん二人は粘り強かった。何十分も交渉してくれた。なぜそこまで…という程に親身に問題に取り組んでくれた。
しかしひら駅員→ちょっと偉そうな駅員→だいぶ偉そうな駅員と段々クラスアップし話をするも、聞こえてくるのは「ノーチャンス」であった。
駄目だった。
おっさん二人も残念そうだ。私よりがっかりしているんじゃないか。なんかごめんよ…。
私はこれから椅子取り合戦に参加するか、後日の列車に予約を取り直すかの選択を迫られた。
「今日もうとりあえず列車に乗るよ」と私が言うと
「人がぎゅうぎゅうで、席も無くて、汚くて、暑い列車になんか、一人で乗らないほうがいい!」とおっさん達は断固、猛然と反対してくる。
親戚?という程に親身に反対してくれた。確かに一六時間は長いなあ…けどやってみないとわからないしなあ。
思案している内に、おっさん達があれこれ提案し初め、私の旅程にテコ入れがなされ
「まず先に、ゴアに行きなよ!」
「ゴアには私の生徒がいる。ゴアに行けば彼がいいツアー会社を紹介するから。彼には今から連絡するから、君はゴアに行きなさい。」
流されている…しかもインド人に流されている・・・大丈夫なのか私よ…でもこれもありか、これが旅の醍醐味か。
おっさんはその生徒とやらに電話をかけて話をとりつけ、あれよあれよと私は旅当初の最終目的地であるゴアに初日に向かうこととなる。有って無いようなプランだったが早くも滅茶苦茶である。
「これが連絡先だよ。」
渡された紙には電話番号が一つと、おっさんの名前と住所、おっさんの生徒の名前。
ゴアには行くけど、ありがたいけどたぶん連絡はしないだろうなあ。と思いながら字を目で追うとおっさんのところには「Dr......」の文字。お医者さんだ!此処にもお医者さんはいたんだ!このホスピタリティ精神ただものじゃないとは思っていたが。
けれどこの時点で勘付いてもいた。これは彼らが医者だからとかではなく、インド人特有の性質の、おせっかい、世話好きからくるものが大きいのではないかと。
そして私はこの旅で後々、度々その性質に助けられることとなる。
おっさん達はわざわざ駅の外まで出てタクシーを捕まえて
くれた。
「300ルピーがこの運転手に払うお金の上限だよ!300以下!それ以上は払わないで!」と何度も、またありがたい忠告をしてくれた。
別れ際に握手をした。
ビックリするほど柔らかくて熱い手だった。
彼らと列車に乗りジョードプルに向かえたらよかったのにな。
タクシーの後部座席から振り返る。おっさん達の姿が見えなくなると共に、束の間消えていた心細さがぬっと顔を出していた。

いつも読んで下さってありがとうございます。頂いたサポートは私がカナダで暮らし続け描くことの動力源になります、貴方に読んで楽しんで貰って還元できるよう、大切に使わせて頂きます。よろしくお願いします!