IN YER MEMORY

旧暦八月最初の丙日アラセツ踊り
七日七晩癸日に至るシバサシ踊り
カネサル踊りはカノエサルで庚申
おそらく庚申信仰より夜を明かす。

クガツクンチは旧九月九日と並び
陰陽の厄払いが陽数奇数最大並び
行き果てドンガに鳴り止まぬ太鼓
三八月は甲子にて来年へ東西東西。



何となしに今日のBGM
『The Art of Acid』
ハードフロア


ということで踊っては来ませんでした、カネサル踊り。
17号です、17号の仕業です。
台風です、そよ風みたいな。
灯火です、風前の八月踊り。

ふて寝して起きたら2時22分の2並び、単発でした。
さっぱり分からないけれど確変って今もあるんですかね。

規制と共存してるんですね。
ざっくりであまり分かっていませんが。



非常に、とっ散らかり過ぎているので、先に予告を済ませておきます。

20190903『アニメ
20190904『速さ
20190905『名前

『次世代』『寿命』
『即興』『問い』
『ストーリー』『The Art of Acid』

次世代、即興、ストーリー
次世代、即興、The Art of Acid
次世代、問い、ストーリー
次世代、問い、The Art of Acid
寿命、即興、ストーリー
寿命、即興、The Art of Acid
寿命、問い、ストーリー
寿命、問い、The Art of Acid

次世代、即興、ストーリー
寿命、問い、The Art of Acid

問いストーリー。
大丈夫なのでしょうか。
それでは、また明日。






三題噺
『夜更かし、一人芝居、眠り』


IN YER MEMORY


あの日は静かな夜だったと記憶にある。

朝9時に起きては、テレビを点けて過ごす。
好き勝手に昼食を作った。
ニガウリとツナの和え物、三杯酢の味付けにミョウガを添えて。
トマトだったかむきエビだったか粉チーズだったか、冷蔵庫の半端な食材をいくつか、いただき物のカレー缶詰2種類のブレンドに加えて。
あまりにも上手くできたのだけれど、1人で全部食べてしまった。
昼食前後もテレビは点けっぱなしで流れている。
大河ドラマのゲスト出演、地方をキッチンカーで旅する料理番組、戦争孤児ドキュメンタリ、テレビ体操、そのように時間が流れていた。

2013年8月、急性期の再発日。
旧暦盆の中日、記憶に貼り付く島太鼓の響き。
はっきりと残りすぎる音は、きっと幻聴に違いない。

夕方に寝付いて、夕方の内に眼が開いた。
静かな夜もまた、同じように眼を開けた。
旧暦盆でも中日には聞こえないはずの島太鼓の音。
思考回路がぐちゃぐちゃに壊れた当時の言葉をそのまま借りるならば、だ。
臨死と、誰かが守ってくれた記憶が貼り付いて、それらを結びつけるような音の響きに、はっと眼を開けた。
両親と兄が家に戻る前だから、夜9時あたりになるだろう。
港の駐車場、港湾付近、しばらく乗らずにいた自転車でうろつく。
着の身着のまま、それか、手持ちの上で選べる限りの外出着で、人を待つ。
呼んでもいない、呼ばれてもいない人を待つ。
ここに来る訳が無い人を待つ。
家の玄関を開けたままで飛び出して、固定電話の子機も靴箱に置いたままで港へ自転車を走らせて、うろついて、誰かを、待った。
静かな夜で、ぐちゃぐちゃな思考回路で、選べる限りの外出着で。
誰かを、待った。
固定電話の子機には1桁の数字「3」とだけ表示されていた。


原因はストレス耐性と結論づけられる。
2010年12月は失敗に終わった1度目の断薬を開始しており、2年半以上を実家の中だけで生活している。
ひたすら代わり映えのない月日は連なり、ささやかな環境変化に狂うまで、わたしだけの身勝手な断薬生活は続いていた。
そうした2年半以上の生活も家族内の口論で無事に閉じて、やっとかっとで急性期を再発させた。
2年半以上を保っていたのは食べて寝る日々の繰り返しであって、ストレス耐性を要しない、家族内で保護された毎日に過ぎなかった。


港へと走らせたわたしは家の鍵も連絡手段も何も持たなかったため、自発的に家を締め出されたままで、深夜を明かす。
それだけならばまだましだったかもしれないが、この日は端的に職務質問を受けてしまい、家族へ連絡が入った。
早朝、隣町の徘徊から家に戻る車内でも帰宅の後も、何か変わる気配は一向に見えなかった。
午後、病院受付でも診察室の内部も、むしろ診察の最中がさらなる異常事態にあったと思い出せる。
主治医であったスズキ先生が当時のわたしへ残した感想も思い出せる。
時々、父親が話すのだ、気のせいだとは思うけれどやや誇らしそうに。
「統合失調症患者の症状、言動としては初めてです。異端です」
うん、誇らしそうという思い込みはこちらの身勝手な願望が含まれる。

わたしは、何かを、演じていた。
そこに宿る人物、憑依と言い替えた方がいいかもしれない。
心体の器へ入り込んだ何かに我が身を任せていた。
わたしの意思が無かったと言えば嘘になる、意思が有ったとも言い難いが。
診察室内に居合わせた面々、すなわち、スズキ先生、看護師、研修生数名、両親、わたしを含めた全員が、わたしの異常事態を目の当たりにしている。

所詮は何かを演じていた。
主治医と両親、診察室内の会話というシーンを研ぎ澄ませる。
文字に起こすと何でもないことかもしれない。
車椅子に座ったまま、拍手を鳴らし、「アドリブ」と発声する。
本気で、一心に、全力を尽くして。
考えられる限り力一杯の音を鳴らして。
面々がやり過ごせないくらい最大の発声で。
アドリブと叫ぶ。
スズキ先生がこちらに向かって「手、痛くない。真っ赤になってますよ」と呼び止めるまで、演じられていた。
1人の研修生が「しりとりの『り』」を求めるこちらの形相に釣られては、「りょうほう」なる答えが意表に出るまで演じられていた。


躊躇のない異常さは、心身の耐性を環境変化が上回る際の「動物的モード」という言葉で表現したい。
「本能」の一言で括られるかも不明だが、スズキ先生が「異端です」という感想を漏らしたのも頷ける。
理解には届かなくても、そう言ってしまいそうな状態にあったのだと思う。

動物的モード。
初投稿記事の『絶好調』でまとめさせていただいたが、わたしという主観を軸とする経験の中で語られた唯一つの空理空論だ。
情報を「認識して、伝達されて、行動する」神経プロセスの逆流。
情報が「行動して、伝達されて、認識する」本来の神経プロセス。
耐性の堅脆と環境の寛厳、相関を一つ例えてみたい。
酸っぱい味覚を即座に吐き出す空腹時の体験談が思い浮かぶ。
想像が可能ならば共感してもらえる気がする。
あの感覚、あの瞬間の「食べ物、腹減ったー、すっぱい」が本質になるのだと思っている。

わたしが過去に3度を経験した急性期は程度の差異も含まれるものの、味覚以外の神経プロセスが全て動物的モードに切り替わっていた。
ご飯は美味しいのに、お菓子は甘いのに、伝う世界だけが違っていた。
見える映像、聞こえる音楽、触れる空気、諸々。
宿るよりも憑依が近く、演じるどころか操られていた心身を取り戻す間際、伝う世界の切り替わりは何だか記憶にある。


ここまで平然と書き進めるものの、読み返し難い記事になっていると思う。
「伝う世界」なる言葉は競技選手や芸術家、技術者のいわゆる「ゾーン」のことだと思いたいのだが。
それは違うよと言われたら素直に受け止めなければならない。
はてさて。
最後に書くべきは残ってしまった題目、「眠り」について。
掲げた題名『IN YER MEMORY』から伝う世界を思い起こしてみたい。
1曲リピートをかけて眠りに就いた曲が、2周目のスクラッチ音で笑い転げては気付かされるまでをここに置いておきたい。


[Memories] Ending Theme


ちょうど今くらいのBPMだった。
鳥居みゆきとラーメンズから始まって。
ティアエルボー、内村航平、ウサインボルト。
TEDトークの空手チョップ。
電気グルーヴのカラテカ。
兄妹6人の集合写真。
四兄の粘土細工。
実家の仏間を飾る写真や色紙、わたしたち家族の思い出。
祖母が祖父の出棺直前に伝えた言葉、仕草。
静かな夜に聞こえないはずの、聞こえないはずの。

置き去りにした文字を残して。


(私信)
台風17号です。
茶話会は取り止めになりました。

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