ユスノキが奏でる『月の沙漠』と、女性の歌声が展示室内で反響する。
わたしが立っていた壁際にも跳ね返って、歌が届く。
吹き抜けの上階は左側から響いた、詩を飾らない、どこかの歌。
2階のその場所に座っていたクミコさんと、歌声の持ち主は、描けないほどよく似ている。

ユスノキと本皮により組み合わせた三味線は楽器の表現力を高めるらしく、事実、『月の沙漠』の演奏がクミコさん以外の誰かの歌声を誘った。
博物館1階展示室を会場に、満月が昇る時間と合わせた、それぞれの2時間。
ミュージアムコンサート。
演奏者が語る曲間を一人一人が聞き入っていた。
ゆっくり、瞬きが奪われるまで。

聞いて楽しむことは音楽の一つなのです
それは演奏に合わせて口ずさんでみたり
ビートがある曲ならばステップを踏んでみたり
表現し合う一つ一つ、いずれもが音楽なのです

客席の仕草、またはざわつきが、月を指す。
一面の窓越しに月が役割を演じる。
ノハラさんとの会話を遮った虹、あの虹と同じようなタイミングで。
旧暦8月16日の満月は窓際に立つ演奏者と50名近い観客の目を惹きつける。


1階展示室の最奥、壁際の位置では、月の姿も歌の主も捉えられなかった。
そのためか、『月の沙漠』と誰かの歌声にクミコさんの歌を重ね合わせて、方言や島唄などの展示物とともに、次の始まりを遊んだ。
ピアノ、フルート、三味線、再びピアノ、その順番で演奏は続く。
壁際へ届く音、静かに揺れながら、順番に遊ぶ。

演奏後の曲間で階段を上がるため、拍手にわたしの足音を紛らせる。
2階の様子が理解できた入口付近、スピーカーには落ち着いた演奏者の口調が届けられる。
「お別れの時間がそろそろ近づいてきました」

ピアノによる夜想曲。

演奏者へ、関係者へ、観客へ、贈られる感謝、拍手。
1階からも、2階からも。
席を離れるクミコさんは、向けられる視線の元を確かめて、別れを示した。
小さく振られた手に、わたしたちは微笑み合って、お互いの再会を誓った。

しばらくの間、吹き抜けの下階を見渡す。
2階展示室に居合わせた兄弟は「分かんない」と答えた。
ベンチシートの女性らは「1階からでしたよ」と答えた。
左上で聞いた歌声は、やはり反響音なのだろうか。
ふとピアノ前の最前列で席を立つノハラさんが見えた。
何とか、入場口あたりで追いつき、後ろ姿は振り返る。

あの歌声に左上を見たのはどうやらわたしだけらしい。
薄い暗雲は月が消えたように。
覆い尽くした月を見るように。


こうして書き始めてみても、わたし自身が何も分からずに、何かを書こうとしている。

9月15日の午前に本を購入した。
奄美大島の八月踊りに関する、歌詞選集を持つことができた。
著者、恵原義盛氏が自らの足で集めたおおよそ1100首、内、半数の500首をこの歌詞集は収めており、1981年に刊行されている。
10年近く無作為に探していた。
図書館でしか見られなかった。
2007年を始まりとして、借りる度に写本を試みては、返却期限も間に合わず何度と挫折した。
そんな本だ。
嬉しい。
でも、泣き笑いするまでとは思わなかった。

店主のモウリさんが経営する古書店で購入できた本。
2日前に同じ本が2冊入荷して、その1冊をノハラさんが購入した。
ノハラさんの話によると遺品整理として回ってきたこの2冊は運が良かったという。
県外の大学に附置する研究所職員が、ここを訪れた翌日に入荷したからだ。
古書店内にある奄美大島と関連する文化書籍のほぼ全て、予算の許す限り、店内の棚が空いてしまうくらい。
研究資料としての役割をもって大量の本が売れた。
そうした翌日に本が入荷したのだ。

わたしは笑った。
笑い続けた。
泣きながら、涙を流しながら、ずっと笑い続けた。

表紙に一字姓の印鑑が押されており、続くページに署名が残る1冊を、わたしは持つことができた。
製本状態が良い方の1冊はノハラさんが購入した。

研究所の資料として大量の本が捌けた後に、わたしがノハラさんと出会った前日に、遺品整理として同じ本2冊が入荷した。

父親が感慨深く、本を手に取る。
表紙には中学時代の父親と親交があった名字の印鑑が押されている。
続くページには親友の兄による署名を残した筆の文字がある。


少しずつ、時間を巻き戻してみたい。
わたしとノハラさんは2回(実際は3回)、出会っている。
ノハラさんが本を購入した日の夜と冒頭のミュージアムコンサート、2回。
わたしが気づかなかったのは観光客以上に奄美大島と馴染む格好によるもので、そのままを言えば、入場口前で長時間を過ごすノハラさんもスタッフの1人と思って見ていた。

「こんにちは、開場は18時30分でしたっけ」
「そうですね」
「今日のパンフレットとか。あら、スタッフの方、ではない」
「そうですよ、並んでるんです」
「あれ、もしかすると、観光ですか」
「はい」

わたしは面識が薄い人ほど、当てずっぽうで喋る。
相手の口から八月踊りという単語が発せられて、真っ先に佐仁集落を考えて話を進めようとしていた。

「この時期だと、あの」
「八月踊りですね」
「わあ、すごい。どこ行きました」
「大笠利です」
「えっ、昨日はこっちも大笠利にいましたよ。最終日で、金久と里前」
「私は里前地区でした」
「ええっ、偶然。何より大笠利の八月踊りというのが、何だか嬉しいです」
「ほぼ毎年、来るんです。2006年が始まりで」
「こっちは2007年。今年になって初めて現地で踊ることができて、13年目にしてようやく」
「へえ。あっ、あー。13年追い続けたって、話していた、あの人ですか」

偶然なる言葉はあるのだと、その時はまだそう思った。
わたしの集落のシバサシ踊りが前日12日にずれていなかったら。
交通手段と宿を得られないまま突発的でもバスに乗らなければ。
父親が見つめる本と残された筆跡までには、異常な組み合わせのたらればが積もり積もる。


「13年前に見た大笠利里前地区の踊り。八月踊りへの片思いは今日、念願が叶いました」
そんな告白ができたのは集落外の寄付を行って、一言を求められたからだ。

任意の寄付が里前地区の公民館で披露されたのも、それより前に金久地区の踊りから移動した直後であって、勤め先で面識のあるヒカミさん宅での踊りが終わったからだ。
そもそもの寄付を予定していなかった、金久と里前と訪れなかった城前田、2箇所への寄付には、少々の酒と酔った勢いも組み合わさる。

祝儀袋を自宅にて用意してくれたハマダさんとは、19時開始の踊りが始まるまでビールを酌み交わして、太鼓の音を締め直したりで準備を進めた。

ハマダさんが坊主頭の後ろ姿を違えて「リョウタ」と声をかけた。
呼びかけられたわたしはnoteの通知を確認していた。
ついぞ約束した時間の電話はつながらなかった。

女性打ち出し(踊り歌の先導役)に囲まれて、談笑とともに、金久公民館のアナウンスを待つ。
海沿いの公園を出ると集落に繋がる細い路地脇は長椅子が見えて、年配女性2人が腰掛ける。
旅行客の高まりを露わに話しかけた。
それぞれの集落で変化する節回しと振り付けと話す口調に笑い合った。
1人また1人と話に加わる、奄美パークで最初に踊った光景を思い出していたのかもしれない。

積もり積もるたらればが到達してしまった今、積み重ねがいつから始まっていたのかはもう分からない。

大笠利は一夜が過ぎた帰り道のバス、カツジさんの通知はヒラバヤシさんとわたしの3人でのカラオケを知らせる。
カラオケ2時間と19時開演に生じる微妙な隙間も、ミュージアムコンサート会場となる博物館への到着を早めた。
わたしは博物館が見えるベンチに座って余ったスナック菓子を貪っている。
遠くの入場口はスタッフと思われる人たちの出入りを見て過ごす。

クミコさんがシェアするフェイスブックで、今日行われるピアノコンサートを知る。
博物館のリニューアル記念、窓際のピアノ演奏は予定通りなら東側の窓から旧暦8月16日の満月が昇る。

そういった話も含めては、待ち時間を早める話し声が続く。
開場時間が近づいて、男女2人を先頭にした列が伸びていく。
ノハラさんとの会話中にわたしの気持ちは満ちていた。
探している本が探していた古書店に入荷した、それを知れただけで胸の中が満杯に達した。
あのタイミングで東側へ浮き出た虹も何かの意味にこじつけるならば、だ。
遮る手と虹に向けた人差し指が、高ぶる気持ちへ、一呼吸を与えた。

開演までの30分。
ノハラさんは最前列の席に座る。
わたしは席の埋まり具合を伝えるために最後列でクミコさんを待つ。
メールを送った直後に、入場口から見えた顔へ向けて、手で合図をする。
最後列の隣席でしばらく話した後は、別々に、奥の壁際と2階展示室へと。

月の沙漠。

ユスノキと本皮で組み合わせた三味線は歌声を誘う。
静かに揺れながら遊ぶ。

薄い暗雲は雨月が消えたように。
覆い尽くした無月を見るように。


201909162236


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