彼が未来を変えたい気持ちは本物だと思うがゆえに、あえて言う。 戦うポイントは、そこじゃない。

■戦うポイントは、そこじゃない。

NDTの圧倒的な作品に沸くなかで、ダンサー・振付家の鈴木竜から一連の問いかけがあった。
特にこの部分は批評家に向けられている。

https://twitter.com/_ryusuzuki/status/1147744711689551872

若いダンサーからの問題提起は重要であり、これも海外経験が豊かな鈴木ならではといえる。「そこと戦えるレベルの作品が作れる環境が日本にも必要」というのも同感だ。

しかし彼が本気で将来を変えたいと思っていると受け止めたうえで、あえて言うが、彼が求めるように、「日本とヨーロッパの比較や考察」をしても、結局は「ヨーロッパすごい」という結果にしかならないだろう(理由は後述)。
本気で変えたいのなら、戦うポイントは、そこじゃないのだ。

「日本との比較や考察をしてくれ」という要望になるのは、鈴木が「日本のダンス環境が整わないのは、日本の人々がヨーロッパの恵まれた環境をよく知らないから」だと思っているからだろう。

しかし本当の問題は、そこではないのだ。
知らないのではない。
「知っているし、変えようとしてきた。それなのに変わっていない」ということが、本当の問題なのである。もっと根が深いのだ。

日本のダンス関係者がこの30年間、何の調査研究もしなかったわけがない。ExplatとかON-PAMといった実効性のある組織が出てくる前は、アートマネジメントなんて、そんなことばっかりやっていた。

ではなぜ実現していないのか、なぜ単なる比較が「ヨーロッパすごい」に終わらざるを得ないのかといえば、ヨーロッパのダンスを育むシステムは、根本的にアジアとは違う、絶対的な「前提」の上に築かれたものだからである。

それは何百年にもわたって各都市に根ざしてきた大小オペラハウスの歴史だ。
まずそれがあった上で、その延長上に現在の振付センターやダンスハウス、助成のシステムなどがある。
さらには社会と市民への芸術の浸透度と、芸術に対する市民感情(これ重要)、各種税金や社会的なセイフティネット、モビリティの容易な大陸という地の利とEUという経済圏の利便性等々も重要な「前提」といえる。

黎明期から今まで日本のダンスにおいて、施策という形で国が取り組んできたことはきわめて少なく、ダンスを愛する民間が孤軍奮闘せざるをえなかった。ヨーロッパの「前提」を輸入するのは不可能なので、なんとか「システム」の良いところだけでも輸入しようとした、けどやっぱりうまくいかなかった、というのがこの30年間だったのだ。

もしも鈴木が本当に環境を変えたいのなら、ヨーロッパの良いところは採り入れつつも、アジアはアジアの中から、歴史と文化に根ざしたダンスの育成体制を立ち上げようという視点がなければ、やはり問題の本質には届かずに終わってしまうだろう。

いまは幸いにしてアジアの状況が激変している最中なので、日本をアジアの一部として考えれば、環境は必ずしも悲観するだけのものではない。
オレは「日本を変えるのはしんどいし時間がかかるので、ダンサーはアジアのネットワークのなかで生き残ることを考えろ」という立場であり、それについてはこちらでたっぷりと語っている。
https://www.artscouncil-tokyo.jp/ja/blog/32707/


■ダンサーは作るだけ、から踏み出すかどうか

逆に鈴木の言う「ダンサー自身も必死で頑張っています」、というのは何を指しているのだろう。
「いつか誰かが全ての環境を整えてくれたら、作品作りを頑張りますよ」ということだろうか。それとも自ら資金や運営や、社会的・政治的な働きかけまで含めた物なのだろうか。

ダンスが(レジデンス)カンパニー中心だった時代は、ダンサーは必死に作品だけ作っていればよかったが、もうそういう時代ではない。
歴史的なものについてはこちら
https://balletchannel.jp/2578

なにより、日本という「貧困国」で活動するシビアさを前提にする必要がある。

15年前にNoismができたときには、「日本中に(ヨーロッパのような)レジデンス・カンパニーがたくさんできるぞ」と期待されたが、そうはならなかった。
Noismを始めたとき金森穣は29歳だったが、見事に重責を果たしてきた。
ときに金森は「後に続く者はいないのか」と他のダンサー達を挑発していたが、結局続く者はいなかったのだ。
「やる気はありますよ!」というダンサーは何人かいたが、具体的に事業計画などのビジネス面での書類までそろえて自ら交渉しにいったという人は、オレの知る限りいない。

もっとも、面倒なことを引き受けたくないということ自体、オレは否定しない立場だ。アーティストは自分のリアルを追求する本能があり、それがガラパゴス故の日本のダンスの多様性の原動力にもなっているからである。詳細はこちら
https://note.mu/nori54takao/n/n650e996a5a01

しかし今アジア各国では、オレが応援しているソウルのNew Dance for Asia フェスティバルなど、現役のダンサー達が自分たちでフェスティバルを立ち上げてまくっているのも事実。

シンガポールのクイック・スィ・ブンはヨーロッパから帰国後、30歳そこそこでカンパニーを立ち上げた。作品は評価されたが、それでは足らないと10年前にフェスまでも立ち上げたのだ。オレが明日からいくM1コンタクトフェスティバルだが、瞬く間に東南アジア全体にとって重要なフェスティバルに成長させた。
しかもM1というのは大手通信会社の名前。自力でスポンサーを見つけてきたのである。
https://performingarts.jp/J/pre_interview/1601/1.html

さらにインドネシアやタイなど、もっと劣悪な環境でも、「自国でフェスを始めたい」という動きが若いダンサー達に出てきている。
もっとも規模が大きくなると、家や土地を売りながら続けている人もいるので、これも一概に勧めるものでもないけれども。

つまり頑張る方向性は色々あるが、どこに向かって頑張るか、よくよく考えて欲しいのだ。

ダンサーが色々やらなければならない時代だからこそ、オレもただ評を書くだけではなく、できる限りのことはなんでもしようと思っている。

自腹もしくは助けを受けながら世界中のフェスを回ったり講演をするのも日本のダンサーに少しでも多くの魅力的なダンスの情報を届けたいからだし、
オレの筆で一人でも多くの観客を劇場に引きずり込んでやるぁと思っているし、
海外で審査員やフェスのアドバイザーをやっているのも、金も権力もない身ながら、なんとかダンサーの活躍の場所を広げたいからだ。

「ダンサーが食っていける社会を作る」ということは、この30年間、オレが自分のミッションとして掲げていることだしな。

もちろん「大きな作品を作る環境づくり」だって、まるきり諦めているわけではない。

今回のNDT公演をスポンサードしたセガサミー芸術文化財団は、「他業種の企業が新しい財団を設立し、ホワイト・ナイト的な援助をする」という可能性があることを示してくれた。

また中村恩恵が立ち上げたコレオグラフィック・センターも、現役アーティストによるものだが内容的・体制的には相当に現実的なヴィジョンをもっている。

こんな時代でも新しい希望が芽吹いており、そこから一気に現状を突き抜ける環境が整う可能性もゼロではない。オレもそうした動きには積極的に協力していくつもりだ。

とりあえず、明日からシンガポールに行ってくるよ。

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