将棋界。藤井聡太竜王・名人を脅かすのは誰だ。その一強状態を憂う

 今からおよそ半年ほど前(2023年9月)、僕はこの欄で「将棋にハマっている」というタイトルの記事を書いている。ここ最近、筆者がとりわけ目を凝らすようになった興味がある分野として、素人ながらあれこれ述べさせてもらった。

 その時はちょうど王座戦の真っ只中で、世の中は「藤井八冠誕生なるか」が大きな注目を集めていた時期だった。そしてご承知の通り、藤井聡太竜王・名人が永瀬拓矢王座(現九段)を破りタイトルを奪取。史上初の八冠(全タイトル制覇)を達成したことは記憶に新しい。

 この1年間、筆者はそれなりに将棋を見てきたつもりだが、八冠制覇の凄さは達成したその時から半年経ったいま現在のほうがよりとてつもないものに見える。将棋界のことを詳しく知れば知るほど、その凄さがわかる。輝きが日に日に増して見える。そんな感じなのだ。

 昨年の王座戦で八冠を成し遂げた藤井竜王・名人は、その後行われた3つのタイトル戦も防衛に成功している。いまなお八冠を保持し続けているわけだ。竜王戦(対伊藤匠七段)、王将戦(対菅井竜也八段)、棋王戦(対伊藤七段)と、いずれも負けなしで全く危なげなく挑戦者を退けている。王座戦の第2局から数えれば、タイトル戦では目下14連勝中(1持将棋を挟む)である。

 もはや敵なし。あまりにも強すぎる。

 登場したタイトル戦での敗退はいまだなし(連続21期獲得)。その記録が途絶える時というのはつまり、現在の“八冠独占”が終わる時でもある。もしいずれかのタイトルを失えば、再び八冠に戻る可能性はどれほどだろうか。そのためには保持する他のタイトル(7つ)を1年間全て防衛し続け、なおかつ失ったタイトル戦で再び挑戦者になる必要がある。いくら藤井竜王・名人とはいえこれはさすがに厳しいのではないか、とは率直な感想だ。

 八冠独占が終われば、おそらく2度目はない。他に達成しそうな棋士も特段見当たらない。そう考えると、八冠達成を目撃できたこと、そしてそれを維持し続けているいまこの瞬間がとても貴重な時間に思えてくる。将棋ファンがどのくらいいるのかはよくわからないが、いましか味わえないこの幸福感をもっと多くの人にも体感して欲しいとつくづく思う。

 そんな藤井竜王・名人の牙城を崩すのははたして誰か。いまの将棋界で最も注目されているテーマはおそらくこれだろう。藤井竜王・名人が将棋の歴史に今後数十年(あるいは100年以上)名前が残る棋士であることは間違いない。だが、その八冠を止めた棋士の名前もそれなりに歴史に残る。藤井竜王・名人以外の棋士たちにはそうしたモチベーションが必ずやあるはずだ。

 1人の棋士による全冠制覇は言うまでもなく凄いこと。そんな偉業を目の当たりにできたこと、それが続いてる現在は歴史の真ん中にいるような不思議な感覚だ。だが、そんな幸せももう十分かなという気もする。率直に言えば、藤井竜王・名人があっさり勝つ姿より、むしろ負ける姿の方が見てみたい。

 もうこれ以上勝たなくてもいい。勝ちすぎたがゆえに、藤井竜王・名人が善玉からむしろ悪玉に見え始めてきた。頑張ってほしいのは藤井竜王・名人ではなく挑戦者の方。これが筆者の正直な気持ちだ。

 名人戦(対豊島将之九段)と叡王戦(対伊藤七段)。現在直近で予定されているタイトル戦はこの2つになる。

 個人的に注目したいのは名人戦だ。挑戦者となった豊島九段のタイトル戦登場は、2022年の王座戦まで遡る。竜王、名人を含む過去タイトル獲得6期を誇る言わずと知れたトップ棋士の一人。藤井名人と似たテイストというか、将棋にストイックないわゆる真面目系のタイプとは豊島九段に対するこちらの印象になる。

 豊島九段の実力を考えると、これまでの6期というタイトル数はかなり少なく見える。藤井竜王・名人がいなければその数字はもっと増えていただろう。見た感じ大人しそうなイメージのある豊島九段だが、盤上ではかなりバチバチだという声も聞く。久しぶりのタイトル戦(名人戦)というわけで、おそらく相当気合が入っているはずだ。藤井名人をどこまで苦しめることができるか。期待したい。

 名人戦と並行して行われる叡王戦で挑戦者となったのは伊藤七段だ。藤井叡王と同学年(現在21歳)の若手のホープ。いや、いまや文句なくトップ棋士の1人だろう。直近5つのタイトル戦の内、その3つ(竜王戦、棋王戦、叡王戦)で挑戦者になるという、とんでもないスピードで将棋界の階段を駆け上がっている。未来のタイトルホルダー及びA級棋士になるのはもはや時間の問題だろう。彼もまた藤井竜王・名人がいなければ今ごろタイトルの1つや2つは確実に獲っていたに違いない。
 そんな伊藤七段だか、藤井叡王とはいかんせん相性が悪い。公式戦では今のところ勝ちなし。他の棋士には無類の強さを発揮するが、藤井叡王には中盤を過ぎるとジリジリと引き離されるという展開が多い。少なくともまだ1レベル以上差があるという感じだが、とはいえ、近い将来藤井竜王・名人の持つタイトルを奪う存在になることはすでにある程度目に見えている。それがこの叡王戦になるのか、あるいはもう少し先なのか。それはわからないが、今後の将棋界の中心人物の一人であることに変わりはない。5年後、はたしていくつタイトルを獲得しているか。早送りして見てみたい気がする。

 豊島九段、伊藤七段。その他で今後のタイトル戦に期待がかかるのは誰か。永瀬九段、菅井八段、佐々木大地七段、佐々木勇気八段……。棋士レーティングを眺めれば、可能性が高そうなのはこの辺りか。
 そうしたなかでいまジワジワとその強さを見せつけていると言えるのは、若干18歳ながら王位戦で挑戦者決定リーグ入りした藤本渚五段だ。昨年度の勝率は驚異の8割越え。勝率であの藤井竜王・名人にも迫った若手の有望株である。さらに先日行われた王位戦では名人戦挑戦者の豊島九段に勝利するなど、未来の大器の片鱗をすでに見せつけている。このままいけば王位戦の挑戦者になる可能性も十分ある。さらには王座戦でも二次予選を突破するなど、近い将来タイトル挑戦の可能性を十分感じさせる力を見せつけている。はたして藤井竜王・名人を脅かす存在になれるか。注目したい棋士の一人だ。

 先述の藤本五段は18歳(現時点における現役最年少棋士)だが、藤井竜王・名人も言ってもまだ21歳の若手だ。今後もしばらくトップレベルをキープし続けると考えるのが自然だろう。その最高値を更新することはあっても、急激に力が落ちるということは考えにくい。だが、30代半ばを越えたベテランの棋士は話が違う。現状維持はできても、そこから滅茶苦茶強くなる人はあまりいない。40代、50代と、歳を重ねるごとにジワジワとその力は衰えていく。

 若い方が強い。将棋界の通説はこれだ。そうしたなかこれまで数多くのタイトルを獲得してきたベテランの棋士たちにとって、藤井竜王・名人の存在はさぞ大きな障壁として立ち塞がっているはずだ。なかでも藤井竜王・名人の前に全タイトル制覇(七冠独占)を達成した現日本将棋連盟会長・羽生善治九段にとってはなおさらだろう。

 そのタイトル獲得数は歴代最多の99期。節目となる100期まであとひとつというところで、年齢的な厳しさに加え、藤井竜王・名人という絶対的な強者が現れたわけだ。現在53歳の羽生九段にとってその100期目のタイトル獲得の可能性はあまりにも低い。それでも可能性があるとすればせいぜいあと1,2年くらいだと思うが、それを超えるとさすがにもう無理だろう。タイトル獲得はおろか、挑戦者になることさえ至難の業だ。おそらくヤマはこの1,2年。羽生九段対藤井竜王・名人をタイトル戦でもう一度見てみたいとは多くの将棋ファン共通の願望だろう。

 そしてもう一人、個人的にタイトル戦に期待したいベテラン棋士を挙げるならば、渡辺明九段だ。藤井竜王・名人に最もタイトルを奪われた棋士。渡辺九段をひと言でいえばそうなる。

 渡辺九段のタイトル獲得数は歴代4位の31期。羽生九段にこそ大きく劣るが、それでも偉大な記録であることに変わりはない。だが、そんな渡辺九段もこの4月でついに40歳を迎える。いまなおバリバリのA級棋士の一角だが、昨年に名人を失冠(19年ぶりの無冠)して以降、現在までその調子は決していいとは言えない。実力的にそう簡単にトップ棋士の座から落ちるとは思えないが、再び藤井竜王・名人とタイトル戦で相見える日が来そうかと言えば、正直難しいと答えるだろう。A級の中では現在最年長だけに、その座を維持するだけでも大変そうに見える。

 以前もこの欄で述べたが、渡辺九段は棋士の中で最も喋りが面白い。笑いを誘うセンスも持ち合わせている。個人的に応援している棋士の一人だが、はたして今後もう一花咲かせることができるか。漫画の主人公(「将棋の渡辺くん」作者伊奈めぐみ)でもあるレジェンド棋士の活躍に期待したい。

 一強(藤井竜王・名人)状態の世の中は思いのほか楽しくない。若いスーパースターが圧倒的な力を発揮する一方、その対抗勢力が伸び悩む世の中に僕は不満を覚える。

 藤井竜王・名人が苦しむような戦いをもっとみたい。悪役が強いからこそスターは輝く。敵役の弱い物語は面白くないのである。

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