自分に直結していない社会課題なんてない

僕は小学校の時はゲーマーだった。兄が買ってきた「三国志」というゲームにハマってからは「悪魔城ドラキュラ」「ファイナルファンタジー」「ドラクエ」などスーパーファミコンのソフトをずっとやり続けている小学校時代だった。小学校から帰ってきた後は友達とゲーム三昧、あまり勉強をしていた記憶はない。宿題などはさっさと終わらせてしまい、僕はゲームを平日で4〜5時時間、土日になると朝8時から夕方ぐらいまでやり込むような小学校時代をすごしていた。

中学校の時も社会課題なんて身近になかった。僕は小学校時代からすごく好きだった女の子が「吹奏楽部に入らない?」と話してきたので即座にYESと行って部活動に入った。その部活はまるで軍事訓練のように厳しい部活動で、朝7時から夜まで。夏休みはほとんど朝7時から夜7時ぐらいまで延々と練習して全国大会を目指すような部活だった(僕らの代で初めて全国大会まで2度行っている)。

好きなことばかりをしていた少年時代だった。

そんな人間がなぜ社会課題に関して関心を持ったのか。

この質問は講演で数百回も聴かれた。僕自身もなぜだろう、といつも考える。

「遠い国の課題なのに、自分に関わりがないのに、なぜ今井さんは行動するのですか?」と。

僕は一度も「関わりがない」なんて思ったことがない。

すべての問題は自分に直結していると思っているから、できれば自分が何かできることがあれば、すべての課題に大してコミットしたいと考えている。しかし、それは現実的に難しいし、自分が一番コミットできることは仕事にしていて認定NPO法人D×Pの仕事をしている。

逆に問いたいのだが、世の中に自分と繋がっていない問題などあるのだろうか?今回の台風だってそうだ。環境問題に直結している可能性がある。気候変動だって戦争だって子どもの貧困もすべてそうだ。戦争は実は自分たちの国がいいように利用されているかもしれない。貧困の問題は僕たちが年齢が上がった時に自分に影響してくる可能性が高い。社会が未来に投資をしなくなって未来の世代を育てなくなった時、税収が下がるかもしれない。社会保障費が下がったら自分に影響が起こるかもしれない。貧困の影響で治安が悪くなれば自分の好きな友人が亡くなる可能性だって高くなる。

環境も貧困も戦争も全てそう。逆に僕は問いたいのだ。自分に直結していない問題など本当はない、と。でも、誰も自分ごとのように考えない今の社会はなんだって問いたい。

僕は10代のときからそう考えて、お金がないときも寄付してきた。ボランティアもしてきた。別にそれを誇っているわけではない。社会を作る側に何かなりたい、と思い続けてきた。選挙だけでもいいし、どういう形でもいい。僕たちが社会を作る側になるために、どうすればいいのか考え続けて行動してきた。

そんな自分がどのように様々な社会課題を自分ごとのように考えるようになったのか。少し振り返ってみようと思う。

僕が当初、何か自分が行動を起こそうと思ったきっかけは部活も生徒会の活動も終わり、受験のときだった。とにかく暇だった。僕は公立の中学校で塾も冬季講習だけは1週間ぐらいだけ行ってみたが、「勉強は特に興味がない」と思ったので、手を抜いていた。その時点で高校に行く意味があまりわかっていなかった。

受験期間中の中学校3年生の12月か1月だったように思う。家の近くに大きな公共施設が建った。地下鉄の駅が初めて家の近くに出来て、田舎で何もなかったところに大きな施設ができたので、顔を出してみた。たまたま、そのときにやっていたのがNGO屋台村というイベントで海外でボランティアをやっているNGOがたくさん出展していた。

僕はそこで砂漠の緑化のプロジェクトや東南アジアの環境問題を解決しようと動いているNGOの人たちと出会った。学校では習ったことがないようなことばかりを実践している人たちから聞く。伐採や焼畑農業で荒れていく土地、それが砂漠化につながっていくこともある。また、ゴミの問題など当時扱われていて、自分に何ができるんだろうと考えていた。

次の日から僕は学校に登校する際にゴミを毎日のように拾うことにした。毎日拾い、学校の用務員さんと相談して処理する。緑化運動みたいなことに動き始めて中学校の卒業の日までそれをつづけていった。

高校に入学後も僕は環境問題に関して何かできることがないかと思い、東京の私立中学校の子たちと高校生環境フォーラムを開き、温暖化の課題など話しあった。学校内でもコンポストで生ゴミを土に還る取り組みなども起こしていった。

ただ、決定的だったのは911のテロだったように思う。高校1年生のときにワールドトレードセンターに飛行機が突っ込み、3000人近い人がなくなった。テロが身近になった気がした。しかし、その後のアメリカの行動はアフガニスタンへの空爆。関係のない人たちも多く亡くなり、僕は疑問だった。こんなことが行われることが平和につながるのだろうか。国際法を無視したようなアメリカによる空爆の攻撃。疑問が大きかった。

そこから僕は高校のベトナムの研修旅行に行ったり、お金を貯めて日本中を回ったりご存知の通りNGOを作り、イラクに渡ったこともある。


当時から思っていたことは常に疑問に思うこと、考え続けることだった。興味関心がないことかもしれないが、人から話を聞いて「自分に何ができるのだろう」と思い続けることだった。無論、人間だから興味の幅は狭い広いはあるだろう。ただ、「この人の話は信用できるかもしれない」と思った時は行動で支援する、高校生ながらも寄付で支援する、を実践する。仮にその人のやっていることに関心がなかったとしても、だ。しかし、その人との関わりの中でその問題について触れ続けることができる。

僕たちは常に一定の「何か」に対して無関心があるのかもしれない。ただ、自分を通さなければ人を通して関心を持つことができる。自分の経験を通して関心を持つことができればより課題のことを考えられるかもしれない。考えてできることだってある。行動する、支援する、社会を変える一票を投じる。何かできることがあるはず。

その先にいつも希望があると僕は信じてる。

社会課題は常にある。課題をひとつひとつ、対応していこう。自分なりに手を打ってみよう。その先によりより社会がきっと待っているはず。

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20200510加筆

コロナの影響でリモートワークになってから1ヶ月半。最初は耐えきれない怖さが僕にはあった。元々、移動しないとストレスが溜まる自分がいた。家に一度ずっといることで、むかしのひきこもり時代を思い出してしまうかもしれない恐怖が僕にはあった。

ただ、やってみると3週間ぐらいすると慣れてきた。紐解いてみると、僕は人質事件後、ひきこもっていた経験が長くあるから今の状況を耐えきれている気がする。トラウマが引き起こされそうな状態は実は既に「活きた経験」に既になっていたのだ。

当時は家からも出ない、駅移動もしない。ずっとこもってカーテンを閉めて陽が少しだけ入ってくる部屋の中で。

落ち込み、しかし人に会いたい心はずっとそこにあった。そのエネルギーが起業という形で出たと思う。

様々な人が在宅ワークや他人となかなか会えない状況の中で「プチひきこもり」を体験してる。

きっと今は冬の時期、隕石が落ちたショックで氷河期になったのかもしれないが、どこかできっと春がくる。それが1年、2年後なのかわからない。 でも、きっと多くが当事者になったからこそ社会は変化する。

多くの人が政治や社会とは無縁じゃないと気付き始めてる。 自分に直結していない社会課題なんてない。だからこそ、声を上げるにしろ、サイレントであるにしろ自らを表明する。行動する。手を動かす。 社会とはひとりひとりでつくるもの。無縁じゃない。

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