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走ることをやめるとき

無我夢中だった。青い空が広がる壮大なモンゴルの大地で、どこの国籍かわからないが、僕ともうひとりのランナーは同じスピードで走り続けていた。34キロの第3チェックポイント地点からもう何分経ったんだろう。アップダウンが激しい。ゴール地点は42キロ地点。5日目。すでに僕は230キロ近く5日間で走り続けている。下りがきつい。足に力が入らず、またマメもできているため気をつけなければ足をひねるか、もしくは転倒してしまう。そんな中でも今この瞬間は走りたい。炎天下の中、僕は走ってる。

「まだ止まりたくない」空腹でお腹もなる。そりゃそうだ。これだけ走っているのに1日2000カロリーぐらいしか取れない。食料持参でバックパックを背負いながら走っているが、限りなく軽量化しているため持ち運べる量は限られている。足に力が入りづらくなる。でも、心を無にする。無駄なことを考えずにとにかく走れ。走れ。走れ。

もうひとりのランナーもつらそうだ。横を見ると、痛みが走っているような表情がたまに見える。「Hey, Are you all right?(おい、大丈夫か?)」と僕は声をかけるが、この選手は英語が通じない。僕は手を上げ、ハイタッチをする仕草をする。そして、相手のランナーも気がつき、僕たちはハイタッチをする。

ーーーーーゴールまで走りきるぞ、二人で。

意思は通じた気がした。僕たちは走った。息が荒いが、とにかく速度を下げずに走った。ただ、無心に。限界を超えたという経験をしたことがなかったのだが、このときは限界を超えていたのだと思う。既にエネルギー摂取量も低く、アップダウンの激しいモンゴルのゴビ砂漠や草原を走り続けてきた最後に僕たちは走り続けていた。止まらずに、ゴール地点のキャンプ地に向かって。

ゴール地点は大抵、いやらしいほどに見えづらい場所に隠されている。「あの丘をこえたら、ゴールが見えるかもしれない」と期待を抱くほど裏切られる。だから、僕たちは期待しない。ただただ走り続けるのだ。

太陽が僕たちを刺し続ける中で僕たちは止まらずに走り、左側に岩山が見えるところを回って走っていくと、ようやくゴールが見えてきた。およそ1キロ先。「Hey!!!」と僕は声をあげて、またハイタッチする。笑顔じゃない。僕たちはあと1キロ、このペースで走り続けるのだ。

動け、足。

汗だらけ。荷物の重さで肩が痛い。

そんなのはもう十分に経験してきた。

走れ、走れ、走れ。

大きな川があり、そこをロープを握りしめて渡ればゴール。

太ももぐらいまでの深さがある川を僕たちは最後に渡り、一緒にゴールした。

っしゃーーーー!!!

短めに叫んで僕はキャンプ地についた。

陽は照り続ける中、僕は5時間半ほどで42キロ、山や森、草原を超えて今、たどり着いたのだ。240キロ地点、ゴールから10キロ手前に。




僕は今回、3度目のチャレンジをした。

SNSで何度もみている人もいるだろうから、詳細は省く。

僕はNPOの代表だ。チャリティーでゴビ砂漠を含めて2000万円以上の支援金をいただいた。サハラ、アタカマ砂漠、ゴビ砂漠の挑戦で多くの方から支援をいただいて走った。

ただ、今回のゴビは僕にとっては緊張や不安が大きかった。

2017年はサハラ砂漠を完走。素人で2キロしか走れなかった僕が走ったことにメディアも注目していた。

しかし、アタカマは最終日に怪我でリタイアだった。

支援金750万円もいただいてリタイア。誰も僕を責めはしなかったが、悔しすぎた。はじめてひとり、ビリになる経験をして足が動かなかくなる経験をした。

そういうこともあってか、怪我が怖かった。走ることが少し好きになれない時期もあった。たぶん、恐怖感からだろう。「本当に走れるのだろうか」と思った時期もあった。

でも、挑戦したい。うちの子たちや卒業生たちからもメッセージをもらっている。多くの支援金をいただいたり、この挑戦をきっかけにD×Pの活動に新しく興味を持ってくれる人も出てきたりするのも事実だから。

だから、走ろう。そう決めて走った。


モンゴルに着いてキャンプ地に移動するバスの中。とにかく広い、広すぎる草原、大地。標高1300メートル近い大地を僕たちは走ることになるのだが、雲が近い。しかも、ひとつひとつの雲が大きく、スケールが日本とまるで違う。そして、草原には羊、馬、牛が人間よりも多くいて群をなしている。

キャンプ地につくと、青空が広がる。既に夕方6時前。

僕はテントナンバーは8番。南アフリカ、デンマーク、韓国、メキシコ、シンガポールの男女5名と僕は一緒になり、彼らとこれから7日間共に過ごすことになる。全員が一緒に走りきれる保証はない。だいたいのステージレースで1〜2割の選手がリタイアする。大会によってはもっと多い場合もある。話を聞いてると、ステージレースが初の選手が僕含めて6人中4人。ベテランの選手もリタイアすることも多い。誰が、どこでいなくなるのかは、走ってみないとわからない。

Day0はみんなで交流だ。持ってきた食料以外にこの日の分の食料を食べる。僕はアルファ米の白飯にお湯をいれて15分待つ。そして、牛丼の具をかけて食べるのだ。これ以外はほとんどカップヌードルかわかめご飯、チキンライス。すべて軽量化とバックパックに入りやすいようにもともと入っていた袋から取り出してジップロックに入れておく。そういう細かな努力が軽量化につながっていくことを経験してきた。

陽はすぐには下がらなかった。20時すぎても明るい。太陽の上がっている位置をみていると、21時過ぎぐらいまでは明るいのだろう。

明日から、Day1が始まる。ゴビ砂漠マラソンのレースが始まる。そんな高揚感が100人以上の選手たちに感じた。



思えば、アタカマのリタイア以降は不調続きだった。

香港の9 dragonsというレースのリタイア、いつも走っている砂漠仲間との70キロぐらいのオーバーナイトランのリタイアなど。いつもならば走れる距離のリタイアがレースで続いた。すべてゴビ砂漠に向けた練習だったのに。

というのが2月ぐらいから左腕や肩の強いしびれを感じて、寝れなかったり仕事にも支障が出るぐらい体調が悪かった。ただ、忙しくてなかなか病院にいけなかったのだが、MRI検査でわかったのは椎間板ヘルニア。首の写真を見せられて神経が圧迫されていることが素人の僕でもわかるぐらいはっきり写されていた。

「走ること自体は問題ありません。ただ、リハビリをする必要はありますね」

4月末に検査を受けて先生に言われたとき、「えっ」となった。

「あ、走れるのか」

僕はポジティブに受け取った。もし、もしだ、この検査でとんでもない病気が判明して走れなくなったらどうしよう、と最悪の事態のことも考えていた。ただ、蓋を開けてみたら確かに椎間板ヘルニアはつらい、痺れるしリハビリもめんどくさい、しかし「走れる」のだ。原因さえ判れば、「あ、いけるわ、おれ」と思って切り替え始めた。

不安が取り除かれて僕は病院にリハビリで通い、またNPO未来ラボのメンバーに紹介された鍼灸師の辻先生のpro careに通い始めた。辻先生はプロスポーツ選手のヘルニアを針で治していたり体調管理をやっている先生でお願いした。病院と辻先生のpro careに通わせてもらい、そして走ることも怠らなかった。



そこから2ヶ月強、明日からゴビ砂漠マラソンがスタートする。

陽は落ちつつあった。

明日の朝8時スタート。3時間前ぐらいに起きて、朝ごはんを作りバックパックを整える必要性がある。なので、5時起きか。

寝袋に入り、僕は思う。

今回は怪我なく走れるのだろうか。

走ろう、走ろう、走ろう。

おやすみ、モンゴルの大地。





レースは始まった。

Stage4の76.6キロのハイライトだけないが、レース中のことを語ることは省こう。砂漠や草原、岩山、丘、山、川、砂利道、すべて越えてきた。肩の痛さ、豆があったりもする。

1日40キロ近く走ったり登ったりしていると、足の筋肉もかなりやられてくる。そのためのストレッチやダメージを軽減させる取り組みも毎日してきた。行動食、つまり走って食べながら僕らはレース中過ごしてきた。

そして、Stage4ではテントメイトの6名中2名はリタイアした。二人とも速い選手だった。僕よりも走力があって3日目まではトップ3に入っていた選書もいる。しかし、怪我でのリタイアだった。

彼らがリタイアするときは悲しかった。僕自身もアタカマの時、自分も敗退したから彼らの心境がわかる。あと少しなのに、動かない。怪我で足を引きずるつらさ、なぜ僕は走れないのか。あのとき無理しすぎたんじゃないのか。自分を責める。悔しさや後悔が襲ってくる。それでも、他の仲間に「がんばれよ!」と言わなければいけないテントの中。複雑なんだよ、くそって感情。


ドラマはある。そんな悲しみとか一個一個の決断がステージレースにはついてくる。あのとき、岩山を走らなければよかった、食料さえもっとあれば、もっと節約しておけばよかった、昨日の夜、もっと足や肩のケアをしておけばよかった。ああ、替えの靴下を持って来ればよかった、とか(僕の場合はランニング用の靴下が初日から破けて相当焦った)。

時間軸を冒頭に戻そう。


Stage5が終わった。

240キロ地点、明日の朝7時にスタートして10キロ弱走ればゴールだ。

この場合、どの選手も怪我をしていてもゴールできる。足を引きずっていても、どうしてもゴールしたい選手が多く、大会側もそういった選手は早めにスタートすることを許している。

僕はこの10キロ、スタートした時に猛ダッシュをした。

もちろんトップ選手にかなうわけがない。でも、Stage5では20位、総合順位29位まできていた。だから、最後ぐらい、限界をもう一度越えてやろうと思った。

だから、僕はStage5よりも速いペースで走った。肺がきつい。でも、そんなことは御構い無しだ。

たぶんゴールについたのは50分ぐらいだった。僕にとっては驚異的なスピードで荷物を持ちながら走っただろうな、と思う。

250キロ走ってゴールしたときの心境は?と問われると、僕は戸惑う。この1年近く、苦しんできた。アタカマでリタイアして、その後も不調続きだった。チャリティーで走って、僕のサポートしている10代の子たちのために走ってはいたが、リタイアかよ、みたいに自分で思い続けてきたからだ。

でも、ゴールした瞬間は格別だった。

「あ、おれは解放されたんだ」

僕はその呪縛を自分で断ち切れたと思う。走ることが楽しくなった瞬間でもあった。跳ぶようにまた走れるな、と。縛り続けてきた僕の心が軽くなって、自由にまた動ける。生きれる。

走ることは僕にとって常に挑戦だった。



走るときはやめるときはいつだろう。

挑戦をやめるときはいつだろう。

「そして最後に、これまでの世界中の路上ですれ違い、レースの中で抜いたり抜かれたりしてきたすべてのランナーに、この本を捧げたい。もしあなたがいなかったら、僕もたぶんこんなに走り続けられなかったはずだ」

と村上春樹氏は著書「走ることについて語るときに僕の語ること」の最後に書いていた。四半世紀以上走り続けている村上春樹氏に似た感情を僕も持っている。一緒に走ってきた、練習してきた、すれ違ってきたすべてのランナーがいなければ僕もゴビ砂漠マラソンもそれに向けた練習も、7年近くに渡るダイエットから始めたマラソンを続けてくることも走り抜けることもできなかったはずだ。

そして、今あたらめて思う。

また、走ろう。

走りたい。挑戦したい。仕事もマラソンも。

これから。すべてはこれからな気がしてる。





最後に。

共に一緒に事業をつくるサポーターになってくれたら嬉しい。

寄付から変わる社会がある。チャリティーで3度走って強く思う。

これまで協力してくれなかった、関心を持っていなかった人も僕たちの仲間になってきてくれているから。


また駆け抜けます。


今井紀明

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今井紀明

認定NPO法人D×P 理事長 http://www.dreampossibility.com/
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