ミスをした選手に対して思いを馳せてみること

 栄光を手にした選手でさえ、ミスに怯え、批判の声に敏感になるのだ。

ミスが怖いのならミスをしないGKになればいい、というふうに発想し、さらに厳しい鍛錬に挑んだ。だが、恐怖や嫌悪などネガティブな感情を成長への原動力にし続けるのには、やはり無理がある。

 負の感情をエネルギーに成長するには無理がある。もちろん、一時的には爆発的な力を生むかもしれない。だけど、そう長くは続かないだろう。

周りのためにプレーしてきた彼が周りに耐えられなくなった時、子供時代から抑えつけてきたもの――GKを不当に扱う周囲への怒り――が爆発したのだろう。
不当に責められるというGKの孤独感が、人生にも少しずつ伝染していった

 ミスをすれば、罵詈雑言の嵐となる。去年のW杯で自分も(もちろん選手ではないが、失点した時の気持ちをわかる人間として)嫌になる程見た。そのほとんどが的を得ないアンフェアな批判ばかり。もし仮にその批判の対象が自分だったらと思うと、ゾッとする。

 不当な批判が可視化されやすくなったSNS時代に、観る側はもう少しミスをした選手に対して思いを馳せてみてほしい。

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