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お役目を果たすこと

『毎日note365』15日目。

昨日の夜はLCPのみなさまとおしゃべり会。
自分の人生を生きている人たちって、見ているだけで元気が出るし、私もそうありたいと感じた夜でした。

LCPの活動などはこちらから。


今日は、昨夜の話の中から気づいたことを書こうと思います。



「お役目」って、あるよね

この世界に生きているから、やっぱり「お役目」ってあると思います。

たぶん影響範囲は人それぞれで、多くの人に伝播させる何かを成し遂げる人もいれば、隣にいる人のためだけに尽くす人もいると思う。その人が「あぁ、いい人生だったな」って生を終えることができるなら、それがその人のお役目を果たしたってことなんじゃないかと思っています。

「お役目」って、その人が情熱的にやりたいことや、周りから求められることだけじゃなくて、「やるべきこと」って認識の場合もあると、個人的には思っていて。

「自分らしさ」についてはnoteに書いたこともあるのだけど、自分らしさは「今この時の在り方・状態」だと考えているので、その瞬間に「〜べき」を選ぶのが正解だと思ったら、選ぶのがその人らしさだし、その人の幸せだと思います。

「〜べき」思考に囚われると生きにくくなるのは真実だと思ってるし、「〜べき」がない状態に身を置いて、その感覚を得ることは必要だと思うけど、「〜べき」との距離感は時と場合によるというか、常に「〜べき」から完全解放された状態で居続けることが良いってわけでもないと思ってます。

それは社会の中で自分が心地よく過ごすためのバランスみたいな感じかと。

「自分はこうありたい」が決まっていれば、現実が「頭では理解できていても実践できない」みたいな状態であったとしても、それはその人らしさだし、理想の自分とかけ離れているからって「らしくない」わけじゃない。

人生は一瞬一瞬の積み重ねだし、人はずっと成長していくし、「これがいい」という選択を選び続けていくことが、結果としてお役目を果たすことになるんじゃないかなーと、なんとなく思います。

だから、土台のなるのはやっぱり自己理解。
自分のことを深く理解しているほど、「これがいい」の精度が上がるから、やっぱり自己理解は社会貢献。

あと、自己理解がしっかりできていれば、「あなたの役割は◯◯ですよ」みたいな他者の視点やアドバイスがあった方が、踏ん張りがきくことが多いと思います。

「環境」の意味

って考えると、今自分が身を置いている「環境」の影響力ってものすごく大きい。

たとえば私個人の話をすると、「家事を手放したい」という欲はあるけれど、「365日ワンオペで家に大人は自分ひとり+子どもたちは小学生+フルタイムで仕事してるけど裕福とは言えない」環境だから、安全に衛生的に暮らしていくには、私がやらなければならない家事がある。それなりに、ある。

「これがいい」を選べるだけ選んで、
・食洗機も洗濯乾燥機もフル稼働
・生協さんヘビーユーザー
・部屋が散らかっても「死なない」スタンス
・子どもたちも立派な戦力
・とにかく家族3人笑って暮らせればOK
という感じで、いろいろ工夫して「これ以上はむしろ居心地が悪くなる」というラインまで家事を手放しているけれど、大人と子どもが一緒に暮らしていたら、大人の私がやるべきことって、やっぱりあるわけで。

子どもたちと笑って暮らせる日々を続けようと、暮らしの周りにある、ありとあらゆる事象を見渡して、自分と子どもたちが無理せずにいられるギリギリを見極めながら、毎日真剣に生きているわけで。

過去の自分の「これがいい」の選択の結果が今で、だから、この環境を自分で選んでいるわけだけど、自分の気力・体力・胆力・タイミングその他もろもろ、巡り合わせでこうなっているわけで。

その環境の中では選べない「これがいい」もあるし、タイミングが合わない「これがいい」もある。

そういうものだと思うんです。

環境も状況も条件も、人によって全然違う。
そういうもの。
それが自分を信じて選んだ結果なら、今、この環境に身を置いていることも巡り合わせで、それには意味がある。

私が今、そう思えているのも、今という環境に納得感があるのも、自分で選んだ結果だからだと思います。

少し前の自分が願った「理想」に、今はとても近いです。


「自分で選べる」ことが一番重要

一歩引いて自分の生活を見てみると、まぁ大変だろうなと思います。

「めっちゃ忙しそう」「大変そう」「無理しないで」「ちゃんと休んで」って、私の生活を知っている人たちには実際よく言われます。

でも、私は、「今この瞬間が幸せだ」と感じることが、本当に本当に多いです。

それこそ、3年前には考えられなかった、喉から手が出るほど欲しかった安心と多幸感。

物理的には確かに大変な生活だけれど、私は自分の欲しいものをちゃんと「欲しい」と言って、それを自分で選んで、手に入れた。
だから幸せに感じるんだと思います。

それこそ3年前は、「人と比べない」ことを強く意識して生活していました。そうしないと、自分が惨めに思えて、辛くなったから。

でも、今は「人と比べない」って意識をしていないです。
それはたぶん、人と自分を比べずに生きられるようになったから。

こないだ「もう3年かぁ」と書いたけど、この3年は「自分で選ぶ」ことを愚直に実践してきた日々だったんだと思います。

一見地味だけど、めちゃくちゃ強固。
この先の人生、もう大丈夫だと思えてることが嬉しい。

自分のお役目が何か、自分ではまだわかっていないけど、今ここに辿り着いたように、自分に素直に、自分を信じて、自分で自分の道を選んでいくことを続けていけば、ずっとずっと後になって「これがお役目なのかな、お役目を果たすってこういうことかな」という感覚になる日が来るような気がしています。

この気づきをひとつの区切りにして、また今日から一歩ずつ進んでいこうと思います。


ではまた明日。


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