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神様って、いる(と思った、長男の中学入学)

神様って、いる。
そう思ったできごとを書く。

「まさかの不合格」などないと聞いていた。
けれど、我が家ではそれがあった。
長男の中学受験。
模試の結果は毎回のように合格可能性99%だった彼の第一志望校を落ちた。
まさかの不合格。
そして、長男に進学してほしいと、私が密かに思っていた学校に進学した。
しかも、その学校は当初、受ける予定のなかった学校だった。

けれどその学校で、素晴らしい先生方と個性豊かな仲間たちと出会った。
彼自身もおそらく考えていなかったであろうほどに学力を伸ばし、
人間的にも大きく成長し、輝いた。

長男入学の3年後、学力的には当時「?」のついていた弟も補欠で合格し、
彼もまた先生方や仲間たちに刺激され、
人が変わったようにさまざまなことを学びはじめ、
あらゆる面で成長し、輝いた。
それだけではない、次男の卒業後5年経って、今度は私が
その学校と関係の深い大学に勤めることになった。
「縁があった」といえないこともない。
しかし、もし彼が順当んに第一志望校に合格していたら、
自信過剰で、鼻持ちならない大人になっていて、
今のような彼ではなかったのではないか。
そして、次男もそこに通うことはもちろん、
受験もしなかったのではないか。
そうだとすると、次男も今のような彼ではなかっただろう。
そう思うと、
受ける予定のなかった学校を受けることにしたことも
「まさかの不合格」も
すべて神様の思し召しではないかと思えるのである。

神様っている。

2月2日にどこを受けるか

10月から11月と言えば、多くの私立中学で学校説明会やオープンスクール、
文化祭、体育祭などが行われる時期だ。
子どもたちと一緒に「これは」と思う学校に何度も出向き、
その学校で過ごす子どもを思い描いて2月に受験する学校を選んだ。

長男が小学校4年の頃のことだ。
2月1日と3日は、受ける学校の候補があった。
1日は東京の御三家のうちの二校とそれに次ぐ学校、
3日は神奈川の御三家の一校。
けれど、2日は決めかねていた。
当時1日校に匹敵すると言えば、神奈川の御三家二校しかなかったが、
宗教系の学校であることに長男が難色を示していたのだ。
彼の性格を考えると、その気持ちはわからないではなかった。
けれど、それらを外すと、2日に受ける学校がない。
当時、住んでいたのは神奈川県の県央。しかも駅からバス。
1日の学校へは片道2時間、しかもラッシュ。
3日の学校へも片道1時間半はかかるだろう。
当時、2日試験の東京の学校にそれだけの時間をかけてでも
通いたいという学校は見当たらなかった。

「2日は受験せずに休む」という考えもなくはなかったが、
「えー、なんで」「もったいないよ」
とママ友の知り合い(初対面)に言われ、
「学校説明会だけでも行こう」
と考えを改めた。
「神奈川という場所で長らくトップにある二校だ、
 何かあるに違いない、何もないはずがない」
そう思ったのだ。
会うはずのなかった彼女に引き合わせ、
そんなふうに思わせてくれたのは、
今思うと、神様、だった。

最初の学校の説明会に行ってがらりと考えが変わった。
学校の方針にも、先生の話にも、生徒の様子にも魅了された。
どの先生もみな生徒をほめ、生徒たちのことが大好きだと伝わってくる。
生徒たちも純粋で、誠実で、聡明だった。
広い敷地にあって、人も木々ものびのびしていた。
その前に東京の学校の天井近くに付いていた運動靴の靴跡を見て、
少し息苦しさを感じていた私は解放感に満たされた。
だから、説明会の帰りにホームで迷って電車を間違え、
4時間近くかけて帰宅したにもかかわらず、渋る子どもに
「すごくいい学校だから、オープンスクール行こう」とゴリ押しした。

もう一つの学校もいい学校だった。
学校をさらに良くしていこうという意思が満ちていた。
司会の先生が「働きやすいのは校長先生をはじめ教師がよいから」と
先生をほめていたのが印象に残った。
生徒たちはスマートで、上品だった。
残念ながら、その学校ではオープンスクールなどの
子どもが参加できるイベントは終わっていたが、翌春参加することにし、
受験する候補として残した。

翌年春に東京の学校の学園祭や体育祭、神奈川の二校の学園祭を見学した。
それで、長男は1日から4日まで受験する学校を決めた。
長男の第一志望は1日の学校。
けれど、学校説明会や学園祭、体育祭の様子を通して、
中高の6年間をどうとらえてどう支えていくか学校の姿勢がはっきり見えた
2日の学校が私の中では「こっちに彼が行くことになればいいな」と
第一志望になった。
説明会、出願、入試の付き添いなど、学校に行く回数が増えるたびに、
2日の学校の先生方の温かみが身に沁み、その気持ちがいや増した。

2月の初めの3日間

長男の模試の成績はとても好ましいものだった。
第一志望校の合格可能性は毎回、99%以上(当時そんな数字が出ていた)。
彼自身もきっと落ちる気がしなかったのではないか。
けれど、本番の日、帰りの電車で沈んだ顔で言った。

すごく緊張して、一時間目の国語で「欠席」の「席」の字が書けなかった。社会が全然できなかった。三越デパート前にいる動物の像って何?地下鉄の××駅でドアはどっち側が開くの?昔の税と関係ある東京の地名ってどこ?
数学は円の重なっているところの面積がどうしても求められなかった。理科は頭が真っ白になって試験管の使い方が、、

聞くだに可哀想だった。
私に言えることは早く寝かせて明日に備えることだけ。
けれど、次の朝の彼の表情は硬いままだった。
ところでその日の未明、私はナンセンスな夢を見た。
次男がモスバーガーの店で「マクドナルドォー」と歌いながら
店内を走り回るというものだった。
それで、その話をバス停までの道すがら長男にした。
彼はケタケタと笑った。彼から憑き物が落ちたようにも見えた。
2日の学校はその前の年に台風があった影響で坂が崩れ、
裏手のほうから階段を何段ものぼらなくてはたどり着けなかった。
「この学校は体育も受験科目にあるんだね」と冗談を言いながら
学校に向かった。
帰りは試験監督に来た在校生と試験官の先生のやり取りを
にこにこしながら話していた。

3日になった。
1日の学校も2日の学校も合格発表は3日だ。
夫と長男は3日の学校を受験したあと2日の学校の合格発表へ、
私は1日の学校の合格発表を確認して合格していたら
その場で支払いの手続きまで全て済ませるつもりだった。
けれど、彼の番号はなかった。
夫の携帯に「不合格」の連絡を入れた。
3日の学校の試験を終え、今食事中だという。
試験はできたそうだ。
2日の学校の入り口のところで落ち合うことにした。
駅から学校までの坂、発表を見終えた小学生と保護者が大勢降りてくる。
すれ違いながら、不安ばかりが募った。
学校の入り口にやっとたどり着いたとき、
そのあたりの石に夫と長男が腰かけているのが見えた。
長男はにこにこして「あったよ」と言った。

神様ありがとう

小6の冬の学校別模試の付き添いで御茶ノ水駅に来た。
試験を受けている間、湯島天神にお参りをした。
でも長男の第一志望校には受からなかった。
湯島天神は、私の大学受験時、お祓いまでしてもらった。
でもダメだった(単に実力不足である)。
それを知っている夫が「湯島天神はお願いを聞いてくれない」。
いやいや違う。
1日の学校を不合格にしてくれたおかげで今の彼がある。
彼が2日の学校に進学したおかげで、弟も同じ学校で学べた。
さらにそのおかげで私は今の職場にいる。

私は無宗教だ。
だからいつもどの神様にも感謝している。
神様っている。

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