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そうだ、ウォンバット、会いに行こう!

私は乗り物が苦手だ。
飛行機も新幹線も高速バスもダメ。
だから長らく旅行になど出かけていなかった。
そんな私が30年ぶりくらいに重い腰を上げ、頑張って出かけた話を書く。

私を突き動かしたのは、年齢を重ねて募らせてきた「人はいつかは死ぬし、いつ死んでもおかしくない」という気持ちだった。
そして、死ぬまでにもう一度あれだけはやっておきたいという思いが強まってきた。
もちろん、今までにやったことのないことをやってみるという考え方もあるだろう。
でも過去のできごとを追体験するほうが、今の私にとってはしっくりきた。

そうだ、ウォンバット、会いに行こう!

私が生まれて初めてウォンバットを目にしたのは、『学研の図鑑 動物』の「フクロネズミのなかま」のページだった。
コアラをはじめ有袋目の動物はどれも愛らしい。
なかでも、ぬいぐるみのクマのような顔立ちでなんとなく内股の立ち姿のイラストは私の中ではダントツだった。
「オーストラリアウォンバット」という名前の動物がこの世にいることを初めて知った。
図鑑にはもちろんパンダも載っていたが、ウォンバットの破壊力には及ばなかったのだ(イラストが)。

それで、新婚旅行はウォンバットに会いに行くぞと意気込んで、オーストラリアを選んだ。
けれど、タロンガ動物園で見たウォンバットの顔はぬいぐるみでいうと、ブタさんのほうに近くて、少し寂しい思いをした。
もちろん、豚もかわいいが、そのときは「あれがウォンバットだよ」と言われても信じたくない気持ちが勝ってしまったのだ。

ところが、当時乳幼児だった子どもたちを連れて見に行った多摩動物公園のウォンバットたちはどの子も本当に愛らしかった。
よごよごとした動きから急に走り出したり、無心に穴を掘り続けたり、姿かたちだけでなく、所作もとても愛嬌があった。
引越しでしばらくは簡単に来られなくなるからと最後に見に行ったときは、もうチューバッカしかいなかった。
当時のウォンバット舎は、いつも、ほとんど見に来る人がいない。
だからずっと自分のペースで、見たいだけ、気のすむまで見ていた。
その時は珍しくひとりのんびりと歩いてきたメガネの女性が(ウォンバットではなく)まっすぐ私たちのほうを見ながら、「私もウォンバットが動物の中で一番好き」としみじみと話す。
ウォンバットは、自由だけど、人懐っこい、(嘘かほんとか知らないけど)うちの中でも飼えるとその人は笑う。
去っていた後で、彼女が多摩動物公園や上野動物園の延長をなさっていた増井光子さんだと気づいた。
そんなことも確かにあったのだ。

多摩動物公園のウォンバットたち(五月山動物園の展示資料より)

数年前にも一度、多摩動物公園にチューバッカを見に行こうと思い立って検索し、チューバッカもこの世からいなくなったと知った。
その時初めて、もっとウォンバットに会いに行けばよかったと悔いた。
そして、もう日本には大阪の五月山動物園と長野の茶臼山動物園にしかいないとわかった。
大阪か長野か、距離的に近いのは長野だが、アクセスは大阪のほうが良い気がする。
しかも五月山動物園には4頭もいる。
ギネスブックに載った世界最高齢のワインちゃんも。

そうだ、大阪、五月山動物園に行こう!

乗り物は不安だったが、何とか耐えられた。
新幹線は思いのほか人が多く、「酸欠になりそう」と思わず口走ってしまい、夫にこっぴどく叱られてしまったが。
朝一で入園したところ、4頭のうち2頭、フクくんとコウくんに会えた。

五月山動物園のフクくん

フクくんはあの図鑑のイラストが抜け出してきたかのようだった。
本当に愛らしかった、ずっと見ていたいほどに。
心が洗われるようだった。
思い出せば、明日からもがんばれる、そんな姿だった。

帰京し、図書館に『学研の図鑑 動物』を見に行った。
自分の記憶が正しかったか確認したくて。
でも、徒労に終わった。
まず、イラストではなく全部写真になっていた。
そして何よりも残念なことに、ウォンバットが載っていなかった。
私がもし今の時代に生まれ、ウォンバットの項目が削られたこの図鑑を手にしていたら、彼らの存在を知らぬまま生きることになっていたかもしれない。
自分の与えられたものが、編集され、制限された(ページの制約など様々な要因があるとは言え)情報であるなら、最初からそれ以外のことなど知りようがない。
そう思うと背筋が寒くなった。

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