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書き起こし │ 2019年7月17日 星空集会@勾当台公園・市民広場

今日は本当にたくさんのお集まりをいただきまして、ありがとうございます。

おばんでございます!

参議院候補、野党統一候補、私が石垣のりこでございます。
なんとかかんとか、ここまでやってくることができました。本当にみなさんのおかげだと心の底から思っております。

今日の新聞も、ご覧になった方も沢山いらっしゃると思います。

5月1日から活動を始めて、二か月およそ半、本当に新人の私が、三代目、三選している現職と互角に、今並んでいる。
この状況を私が活動を始めた時、誰が一体想像してくださっていたでしょうか。
中には、信じて下さっていた方もいらっしゃると思います。

でも、毎日、毎日、色んな方にお会いして、お話をさせて頂いて、少しずつ支援の輪を広げていただいて、こうしてみなさんのおかげでここまでやってくることができました。

毎日、毎日、沢山のご声援をいただき、その、私への期待も含めて、責任の重さも感じながら「みなさんの期待に応えよう。もっともっと頑張ろう。」そういう気持ちで毎日取り組んでおります。
本当に感謝を申し上げます。

活動を始めたばかりのその時、投票日までの大まかな予定を聞きました。

その中に、今日のこの「星空集会」という名前もありました。
政治と星空「なんだかピンとこないなぁ」と思っていました。

投票日の直前くらいにある集会だと、その時のことを想像して、星空に願いを込めて仙台は七夕がもちろん有名ですので「私は一体どんな気持ちで、その星空集会に臨むのだろうか」とこのように思っておりました。

今、みなさんへの感謝の気持ちでいっぱいでございます。

そして、ここに至るまでの、自分自身の歩みについても、考えておりました。
私が今回の、立候補を決めるにあたって、私の信頼する友人、何人かと私の話を聞いてもらいました。
「こういう話を頂いている、どう思うか。私は頑張りたいと思う。」
私が相談した友人、一人ぐらいは「やめといた方がいいんじゃない」答えるかと思ったんですが、誰一人「やめな」という言葉を私に向けた人はいませんでした。

それは、私の友人が、やはり、ここにお集まりの皆さんと同じように、そして私に思いを寄せて下さっているみなさんと同じように「このままではまずい、何とかしなければ」…しかし、どうしたらいいのかわからない。
自分ができることはやっている。
でも、なかなか現状が動かない。

そういうもどかしい気持ちを抱えていたからだと思います。

うちの家族にも相談しました。
特に、小学校4年生の子供です。娘です。
ラジオを聞いて「おかあさん、しゃべっているね。」と楽しみにしてくれていた子供です。

選挙ということがまだわかりませんので、学級委員を選ぶことに例えて、
私が今回、こういうチャレンジをするんだということを伝えました。

「そうなんだ。」

国会の中継なども、よく中身はわからなかったかもしれませんが、ただ、一国の総理大臣が、質問にしっかりと答えない。あやふやにする。相手に対して冷笑をうかべる。せせら笑う。
そういう、大人として見せたくないような姿を、国の最高意思決定機関の国会の場で平気で、行う。

そういう姿を見ておりました。
子供ながらに、きっと感じていたことだと思います。

こういう時代を、世の中を、私が次の世代に受け継いでいきたくない。
少しでも、自分の力も含めて変えていけるのであれば、何とかしていきたい。
そういう気持ちを子供に向かっても伝えました。
ただ、

「おかあさん、ラジオからはもう、声、聞こえないの?しゃべんないの?」

とは言われました。

「そうだね。どういう結果になっても、もう、ラジオからは…私の声は聞こえないかな。」

そう言いました。

「えぇっ?そうなんだ!どうしてしゃべれないの?」

そんな風に質問も受けましたが、まぁ、なんとかかんとか、納得しているのかどうかはわかりませんけれども、ちょっと寂しい気持ちも抱えながら、応援をしてくれています。

そして、実際に声を聞き、姿を見て、話ができる、そういう相手だけではなく、今日の「星空集会」という名前のようにですね、まさしく、星の世界にいる、私の心の中に住んでいる、そういう人にも相談しました。

一人は、会ったこともない私の母方の祖父です。
先の戦争で25歳の若さで戦死しました。

学徒動員。

私の母ですら顔を見ることがなかった。

沖縄の戦争で終戦の直前、2週間前といったらどんな酷い状況だったか、想像に難くはありません、いや、想像を超える凄まじいなかでの戦いだったと思います。

食糧部隊として朝方、渡嘉敷島という島に食べ物を探しに出かけたその先で、敵の弾に撃たれて亡くなった祖父です。
子どもが生まれたという知らせは、現地に届いていたといいます。

生きて帰ることをどれだけ望んだことでしょう。

その祖父に会ったことはありませんが、写真だけは残っておりましたので、心の中で思い浮かべながら、今回のチャレンジ、私の大きな挑戦、おじいちゃんだったらどう思うか。

にっこり微笑んでくれたような気がしました。

自分のような犠牲を二度と出して欲しくない。
二度と繰り返してほしくない。
そのような力強い瞳に見つめられたような気がいたしました。

さらには、私の大切な友人、34歳の若さで亡くなった友人がおります。

彼女は仕事とても熱心で、世の中に対する意識も強くて、自分の仕事を通して世の中を少しでも良くしていきたい、そういう気持ちで頑張っていました。

でも、仕事が本当に重なっての過労死です。

ただ、会社からは過労死という認定もされず、遺族側も騒ぎになるからと、そのような訴えは起こしませんでした。
しかし近くで見ていた私は、もう過労死以外はない、そういう状況を目の当たりにしております。
もちろん、本人の決意、選択もあるとは思います。
しかし、働けるだけ働かせて賃金は安いまま、あるいは、正規雇用ではなく非正規雇用でどんどん使い捨て。

今の社会、私の友人が亡くなったのはもう15年も前のことですが、さらに悪化しているのではないでしょうか?

その友人の声も、私の心の中で「がんばって。私の思いも、思いの分も、私のやりたかったことの分もトライしてみてくれ」と、そんな風に言ってもらったような気がしています。

私たちの人生は――どんなことでもそうですが――必ず終わりがやってきます。
自分がその最後に立ったときに、自分の人生を振り返って、それぞれの節目、思い出すこと、もちろん後悔することもあるでしょう。
でもやはり自分に正直、一度きりの人生を、自分の幸せと、そして周りの人たちの幸せを求めながら生きていけたら、本当に最高だと思います。

もちろん、そのための自分の努力は大切です。
だって、自分自身の人生だれにも代わることができないんですから。

そこはもちろん自分の責任はあります。
「努力する」大切なことです。

しかしながら、努力でどうしようもない、その人の力ひとりだけではどうしようもない。
そういう理由で人生のさまざまなトライ、チャレンジを諦めなくてはいけないということ。そういうことはなくしていきたい。

それは政治の役割だと強く信じております。

私が今日ここに立っている理由。

祖父も含めてたくさんの人たちの思いがあって、そして強い意志があって、希望もあって。
先の戦争の反省も踏まえて、ここまでなんとかかんとか国内は平和でやってくることができました。
しかしながら、人権が踏みにじられ、私たちの生活は踏みにじられ、これ以上この独裁政治を続けていくわけにはまいりません。

どうか皆様、このたびの参議院選挙、この宮城から、あらためて、全国へ向けての大きな流れにすべく、私一人ではもちろん立ちゆきません。
今日を含めての4日、あとさらに3日でございます。

どうかどうか、ご一緒に、お力を賜りますように、心からのお願いを申し上げます。

本日はたくさんのお集まり、そしてここにいらっしゃれなかった皆様も含めて、たくさんのご声援、本当にありがとうございます。

最後までたたかい抜きます。どうぞよろしくお願いいたします。

石垣のりこ Information

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