アマゾンの火災を知って思ったこと

伊坂幸太郎の小説【陽気なギャングが地球を回す】の中のキャラクター、天才スリである青年、久遠は【人間よりも動物の方が尊い】という徹底した価値観を持っていた。

アマゾンの火災のニュースを目にして僕は彼を思い出した。

何億何兆という生命が失われたのだろう。「動物も魚も虫も草木も全てヒトなんかより尊く美しい命なのに。本当にヒトなんて滅べばいいのに」久遠がこのニュースを目にしたならこう思っただろうと、僕は彼を思い出した。

ニュースで見た被害のあまりの大きさの衝撃で、久遠の考え方に僕も重なってしまいそうになる。「驕るなよ。思い上がるなよ、人間ごときが!」と。「リョコウバトを絶滅させたあの時代以前ならば、地球はまだ美しいままだったのかも知れない。美しい自然を穢しまくったのは近代以降の我々人間だ」と。

【足るを知る】という謙虚さを多くの人間が持てば持つほど、消費で回る経済は停滞する。産業革命以降の大量生産型産業構造は消費者を傲慢な王のようにする必要があった。もっと便利に、もっと快適に、もっと美味しいものを、もっとオレに富を、「もっと、もっと、もっと、もっと」と、歯車と燃料が上手く噛み合い過ぎた経済原理は自然を顧みる事をないがしろにした。

また、人は戦争を起こしてしまうものだと歴史を振り返れば、国力を落とす訳にはいかない。国力を維持、或いは向上させ続けなければ、国防に不備が生まれる。国力を維持、向上させ続けるには現在の経済原理を否定することなどできない。「自然環境を守るために、これから日本は50年かけて生活レベルを江戸時代後期の頃に戻します」なんて宣言したら、どこかの国に侵略され蹂躙されて終わりだ。

人類全てを統轄し、自然と調和のとれた道へ導く神のような存在を待ちわびても意味がないが、戦争も起こらない、飢餓もない、自然環境を破壊しない、そんな世界になる為には神が降臨するか、人類だけが静かに絶滅するかしかない。

神は、現世に降りてなどこない。だから、人は学ぶ必要があるんだ。知識を取り込み、論理的思考能力を練ることで、知識を知恵と成し、実行力を鍛え、実践の中で生きた哲学を自分の身に構築しながら、倫理を多くで共有し、ヒトも野生の動植物の仲間の一種であると、調和をヒト全員で目指さなければならない。

地球に同居させてもらっている動物の一種であるヒトとして、人類の利益がどうのじゃなくて、広義の仲間として、自然環境、野性動物に僕たちはもっと敬意をもって接するべきだ。

地球の裏側だけど、同種である人類があんな大規模な人災で自然環境に迷惑をかけたおした様を見て「へー、ふーん、ほーん。……それで?」としか思えない倫理的不感症の人間が一人でも減る事を祈ります。

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