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モンテネグロのボーイフレンド【世界多分一周旅バルカン編#5】

「モンテネグロってどこにあるの?」と確か1ヶ月半くらい前に、私は彼に尋ねた。

カミーノを歩いている時に、スペインの小高い丘の上の小さな集落の宿で、大部屋に私とデンの2人だけしか泊まらなかった夜。一緒に晩ごはんを食べに行った時にそう聞いた。

彼はロシア人で、モンテネグロに住んでいると言った。
「モンテネグロに住んでる」なんてセリフは、私の人生で聞いたことがなかったし、そもそもモンテネグロという単語を私が口にしたことも記憶にない。
デンは、ロシア語設定になっているGoogleマップを開いて、「バルカンにあって、旧ユーゴスラビアの国の一つでここにあるよ」と教えてくれた。
へぇー。
山盛りポテトフライに隠されたポークステーキを見つけるのに必死だった私は、そこまで興味ない反応をしてしまっていたと思う。
とにかくお腹が空いていた夜だった。18時に食べたかったのに、オープンは20時だと言われ、デンと途方に暮れながら広い大部屋の端と端のベッドで横になり、20時に行ったら開いてなくて、座り込んでまた途方に暮れていたら、20:40にオーナーが店を開けた。「息子の誕生日があって…」とか何とかよく分からない言い訳をしているスペイン人のおじさん。
頼むよ。小さい村に一つしかないレストランなんだから。
そんな、小さな村で私とデンは知り合って、それから数回顔を合わせて話すようになった。

ポテトの下にポークステーキが眠っている
スペインの盛り付け
1人黙々と歩いていたデン


しかし、デンは歩くのがものすごく速くて毎日長距離を歩いていたので、私よりも1日早くサンティアゴにゴールしてしまい、再会できずにモンテネグロに帰って行った。
もう2度と会うことはないなぁと思って、その時は少し寂しかった。
一緒に過ごす数少ない時間の中で、彼はよく自分の国、ロシアの話をしてくれた。
彼はいつも1人でいて、誰かと話しているところを見たことがない。
口数も少なくて、あまり笑わないけど、こちらが話しかけたら静かに微笑んで話してくれる。
「日本は憧れの国、未来のイメージがある」とデンは言った。どうやら何かのSFチックな映画を見てそう感じているらしかった。「車は空を飛んでいないよ」と伝えたら、「それは分かってる」と言っていたが、夜のキラキラ輝く高層ビルや、着物、寿司、アニメ、クールジャパンなイメージを持っていて、「いつか君の住む未来都市に行きたい」と言っていた。大阪ははたして未来都市なのか自信はなかった。

私とデンは、連絡用にインスタグラムのアカウントを交換していたので、彼は時々メッセージをくれた。私が今どこを旅しているのか興味を持ってくれていた。

ポンペイに行った時も、「僕もポンペイはいつか行きたい町」とメッセージをくれた。

イタリアからフェリーでバルカン半島へと渡るプランを思いついた時に、デンに伝えたら、「Great news!」とクールな彼が珍しく興奮していた。地図を見たら、バルカン半島にモンテネグロという地名があった。通り道だし寄れるなと思った。デンに「モンテネグロのどこに住んでるの?」と聞いたら「Budva」とのこと。ブドヴァって読むのかな。
よく分からないままGoogleマップで調べてみると、海のそばにあり、バスも通ってそうである。よし。
「じゃBudvaに行くわ。Budvaで会おう。」と伝えた。
そして、アルバニアから隣の国のモンテネグロのBudva行きの直行バスがあったので、それに乗り、そのまま国境を越えて、アルバニアの首都ティラナを出て6時間半後にブドヴァに着いた。 
なんか、簡単に来れちゃったな。
少し笑けてくる。 

旧市街地から、ものすごい登り坂を20分ほど上がったところにある良さげな宿に2泊することにして、汗だくになりながら登った。アルバニアの宿の2倍の18ユーロ(2800円くらい)したが、まだイタリアの半分くらいではある。
荷物を置いて、少し休憩してからオールドタウンへ向かった。
デンの仕事が終わるまでの間、ぶらぶら散歩して、デンが指定してくれていた待ち合わせ場所のバーへ行った。

デンは、時間ちょうどに現れて、おとなしく、「Hi!」と左手を小さくあげた。
私はその手をとって握手して、「来たよ!」と元気よく伝えたら、デンは小さく笑った。
それから、ヌテラパンケーキを食べながら、「僕がカミーノの旅を終えてもう1ヶ月半が経つのに、君はまだ旅を続けてるなんて。」「あの時、『モンテネグロってどこ?』って私が言ったの覚えてる?どこかも知らなかった国に今いるって面白いよね。」など話しながら笑い合った。
デンは、ホットチョコレートとチョコレートパンケーキを食べている。
甘党らしく、それを指摘すると、「君の方こそ、いつもカミーノで甘そうなパンとかしょっちゅう食べてたよね」とつっこまれた。
「君はゲストだから」と言ってパンケーキをデンにごちそうになってしまった。
カミーノで、小さなフルーツタルトを奮発して自分用のご褒美に二つ買って、道の途中で私がまさに食べようとしていた時、デンが現れた時のことを思い出す。
「一つ食べる?」と一応デンに聞いたが、あげる気はさらさらなかったし、「お願いだから断って!私は二つ食べたいの…」と心の中で祈り、それを察知して遠慮して断ってくれた1ヶ月半前のデンに謝りたい。
今なら、進んで彼に一つあげるのに。

この時はごめん。



デンの頭の中には、私を案内するプランができているようで、「これを食べ終わったら、ビーチと旧市街地を散歩して、向こうの山の上にある城にサンセットを見に行こう。ちょっと歩くけど大丈夫だよね?サンセット時間を調べるよ。21時か。オッケー。じゃあ散歩しようか。」と段取りが良い。


歩きながら、日頃どういう生活を送ってるかを聞いたら、色々と教えてくれた。

9ヶ月前にモンテネグロに来て、モバイルデベロッパーの仕事をしていること、PCで静かに作業しているからあまり人と話さないこと、体が固まるから週末は公園でヨガをしに来ていること、時々すぐそばの山に登ったり、ビーチで泳いだりもすること。
散歩しながら楽しそうに話した。
ブドヴァにはロシア人が多い。私が歩いている時によく声をかけられ、自分たちはロシア人だという人が多かった。
デンに理由を尋ねたら、モンテネグロはロシア人が移住してくるのに特別な書類などが必要なくて、住みやすいらしい。そして、ウクライナ人も同じ理由でこの町に多いと言う。話はそこで止まった。

日没までの時間調整に、ゲームセンターのような場所でホッケーをした。
中学生のデートみたいだなと思った。デンは珍しくよく笑っていて、5対7で私が負けた。

隣の子もハッスルしている。


それから、山の上の城を目指して歩く。カミーノを歩いた人の「ちょっと歩く」の「ちょっと」を信用してはいけない。かなりハードな山登りであった。
登りながら、ブドヴァの海は、これまでの旅で見てきた中で1、2を争うくらいの透明度で、中世の砦などが格好いいけど、ちょっとリゾート開発され過ぎているね、という話をした。
ロシア人が来すぎているせいか、リゾートマンションなどが建設中の場所が多く、今後乱立して続々と建ちそうな雰囲気である。

デンの帽子、かわいい。


モンテネグロは小さい国で2つしか空港がないこと、ポドゴリツァという首都のこと、コトルという町が美しいこと、もともとはセルビアも含めてユーゴスラビアという一つの国だったことなど、デンがモンテネグロについてある程度説明してくれた後、自分の国のロシアについて、ポツリポツリと話し始めた。

「ロシア人って、あまり笑ったり話したりしないイメージでしょ?」と聞かれる。確かにそう思うし、デンもそんなイメージがある。
それは、「ロシアが寒すぎるため、あまり話したり笑ったりせず、省エネにしてるんだよ」とロシアンジョークのようなことを言って笑った。
笑った方があったまる気はしたけど反論しなかった。

「ロシアに帰りたくならないの?家族はロシアにいるんでしょ?」と何気なく聞いたら、「両親は1年前に2人とも亡くなったから、ロシアに帰る理由はもうないんだ。」とデンは言った。
それ以上聞かなかったけど、多分、時期的に想像しうる辛い出来事があったのだろうと思う。
「あのクレイジーな男がトップにいる限りは、僕はロシアに帰りたくない。ロシアのことは好きだけど、今のロシアは好きじゃない。」とポツリと言う。

城に着いて、夕焼けや月明かりを見ながら、彼はベンチに座って続きを話した。


「この町にはウクライナ人も多いけど、自分は辛くて話しかけられない。友達になりたいけどなれないんだ。それはウクライナ人に限らずだけど。今のロシアがしていることを僕は恥じている。
人殺しをやめないことが辛くて悲しい。敵ばかり作っている。世界にたくさん友達を作るべきなのに。」

彼はカミーノでも、ほとんど1人で過ごしていた。どこから来たかバルで聞かれて、「ロシア」と答えて、冷たい対応をされているのを見かけたことがある。
私とは、私が話しかけたから話すようになったけど、彼は誰に対しても壁がある雰囲気はあった。
どういう思いがあって彼がカミーノを歩き始めたのかは聞かなかったけど、なんとなく分かる。
いろんな思いを抱えて生きている。

彼は「War(戦争)」という単語を使わず、「Kill people」という言い方をした。平和や戦争の終息を「Make friends with world」という言い方をした。英語の弱い私のためにあえてシンプルな表現を使ってくれたのかもしれないけど、彼の思いが真っ直ぐに理解できた気がした。

「あのクレイジーな男も、カミーノを歩けばいいのにね。そしたら世界中の人と友達になることができるのにね。」
私は何と言えばいいのか分からない時、黙っていればいいのに、くだらないことを言ってしまうことがよくある。とても陳腐なことを言ってしまって、すぐに後悔したが、デンは、「君がクレイジーな男と代わってくれたらいいのに。君はどの国の人とも友達になれる。」と言って笑ってくれた。
私にはあんな大きな国は、荷が重すぎるので辞退したいけど、デンとはこれからも友達だよ、と伝えた。

デンは、今後の自分の人生について迷っていると言う。
セルビアで暮らすか、ポルトガルのリスボンで暮らすか。
ロシアに住む友達がセルビアに来月に移ってきて暮らすらしく、自分もセルビアで暮らしたら寂しくないかもしれないけれど、いつまでもロシアのパスポートで、生き辛いままになる。
一方、リスボンの職場に転職すれば、5年暮らせばポルトガルのパスポートを取得できるから、今よりも自由に生きられるけど、少し自分にとってはハードルが高い。
帰り際に、そんな迷いを話してくれた。
ポルトガルの道を歩いた私たちにとって、ポルトガルは特別な国になったから、あの国に住みたい気持ちもわかる。
旅で知り合った一人のアジア人の、ただ通り過ぎていく旅仲間にしか話せない話が、もしかしたらあるのかも知れない、なんて思った。
時々私自身も、カミーノで知り合った仲間同士でかなり踏み込んだ話や、あまり人に言ってこなかった話をすることがある。
なぜか旅先では、自分の国ではない誰かに、自分の悩みや思いを知ってほしくなるのかもしれない。
聞いてもらえるだけでいいから話したい。
お互いに、そういう気持ちが起きるのかもしれない。

「モンテネグロっていう国の名前は、『黒い山』っていうイタリア語からきてるんだよ。昔イタリア領だったから。モンテネグロ語ではツルナ・ゴーラ。意味は同じで黒い山。」とデンが教えてくれた。
彼は本当にモンテネグロのことをよく知っている。
ブドヴァの周りを囲む夜の山はどれも黒くて、本当に紛れもなくここはモンテネグロだと思ったし、月が輝いて、真っ暗な海を明るく照らしていた。
私はきっと、この光景を忘れないと思う。

「カミーノを歩いてる時は、毎日毎日歩いて嫌になる時もあったし、しんどくて辛い時もあったのに、今はしょっちゅうあの道に戻りたいって思ってるよ。」と私が言うと、「僕も毎日のように思い出すよ。それまでは思い出したくない思い出ばかりだったけど、今は、戻りたいと思える思い出ができたから、カミーノを歩いて良かった。君とも出会えたしね。」とデンが言った。

「戻りたい思い出があるなら、私たちはこれからも生きていけるよ。また会おうね、マイフレンド。」
そう言って、私たちはハグをして別れた。

デンがどんな選択をしようと、どこで暮らそうと、彼が笑って過ごせる日々が続くように。
ロシアにとっても、デンにとっても、世界に友達が増えるように。
月が照らしてくれますように。
そんなことを帰り道に願って歩いた、モンテネグロの夜。



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