ひねくれ読書術

諸君、所謂文学作品を読んでおられるだろうか。何、読んでいない?諸君たちは損をしている。
自称兼他称・読書家で某私立大学(○学院大学 )で日本文学をやっていた吾輩が「ひねくれ読書術」なるものを伝授しよう。
吾輩が大学2年の時に幻想文学を習っていた。その講義のU教授のモットーが「面白く読む」ことだった。本が苦手な人にとって、読書する行為は苦行というか、拷問だ。吾輩は無類の読書好きだったが、その教授のモットーに触発され生み出したが「ひねくれ読書術」だ。
例えば谷崎潤一郎の「刺青」を読んでみる。ストーリーは詳しくは書かない。女の背中に刺青師が女郎蜘蛛の刺青を彫る。吾輩はなぜ女郎蜘蛛なのか気になった。広辞苑で調べると、メスがオスより大きく、メスがオスを食うとある。蜘蛛の仲間はそんな種が多いらしい。確か刺青師が女に「お前は男を食うて美しくなる」というようなことを言っていた。谷崎は蜘蛛の性質を知り、女の背中にそれを書かしめたのだ。そしてこの小説で吾輩の最も面白いと思うシーンがある。彫り終えて後の女の言葉だ。
「…お前さんは真っ先に私の肥料になったんだね」「…」の直前の台詞と直後で口調が変わっている。なせか?…の直前は女の台詞、…の直後は「彫られた蜘蛛」に乗っ取られた女の台詞と解釈した。つまり女は彫り師に蜘蛛を彫らせることで逆に彫り師という男を食うてしまった。作中の言葉を使うなら「肥料」にしたのだ。
そう考えると、如何に近代の小説と言えど、面白く読めるのではないか。しかしこの「ひねくれ読書術」には大いなる欠点がある。行きすぎると「トンデモ論」になることだ。
例を示そう。江戸川乱歩の代表作「パノラマ島綺譚」のラストで探偵が登場する。明智小五郎ではない。酷く似ているが。探偵は主人公に「処決」を願い出る。主人公は自ら花火となり死亡して物語は終わる。物語の中で探偵はパノラマ島を誉め、羨望みたようなものを感じている。探偵は主人公に自殺させることでパノラマ島を継ぎたかったのではないか。そしてその探偵のその後を乱歩は明智物の代表作『蜘蛛男』で「犯人」として描いた。パノラマ島という「桃源郷」の荒唐無稽さ、そしてその崩壊を描いたのだと。
しかし、パノラマ島の探偵は、物語を終わらすための存在。所謂デウス・エクス・マキナ、時計仕掛けの神だ。
トンデモ論を生み出すことはあれど、それを含めて、「ひねくれ読書術」は小説の面白さを最大限に引き出す読書術であると、吾輩は断言する。
この記事を読んだ諸君たちの中から小説好きが一人でも生まれてくれることを冀う(←これを「こいねが(う)と読めた人、アンタは凄い‼」)ばかりである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?