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2022年4月、帰省しました その2

翌日は葬儀なのですが、その前に親類一同に介して最後の食事、ということで母親の遺影とともに食事をしました。

その際、故人の好物に箸をつける役を仰せつかったのですが、さて彼女の好物はなんだったかな? と考えあぐねてしまいました。好きなものよりは苦手なもののほうが思い浮かびます。牛肉や豚肉は脂っぽい香りが苦手で、魚屋の娘だっただけあって魚は大丈夫だったようですが、さて、この焼き魚は果たして好物だったかな?

とか思いながら、どうにもわからなかったので他のきょうだいたちに訊いてみましたが、誰かから「この中では……蕎麦かな……」という、いかにも消去法的な回答がなされ、とりあえず蕎麦に箸をつけることに。

(お母さん、本当にそれでよろしかったでしょうか……?)

さて、食事が終わったあとはいよいよ葬儀となりました。

父親が亡くなったのが2015年の10月。それから6年余り経ったわけですが、やはり葬儀の作法というのは間が空くと忘れてしまうものですね。

ちなみに、父親のときは親戚のみならず仕事関係の参列も多い大規模な葬儀でした。それに比べると今回は故人の希望もありほぼ親族のみ。親族以外は在宅介護でヘルパーとして関わってくれた方たちが加わる程度の小規模なものになりましたので、葬儀の段取りも淡々と進んでいった印象があります。

喪主は父親の時と同様、兄となりました。母親が介護で付き添い病院で亡くなった父親のときは喪主の挨拶のときに泣くことはなかったようですが、母親のときは(わずか2週間あまりではありましたが)在宅介護に関わり、最終的には亡くなる瞬間を目の前で目撃し、蘇生法を試みながら救急車搬送に付き添うという「看取り役」を担ったということもあり、こみ上げるものが抑えられなくなっていたようでした。

そうして葬儀が終わり、長男である兄が遺影、次男である私が骨壷を持って霊柩車に乗り込み火葬場へ。ちょうど桜が満開の時期でしたので、道の途中にある桜並木がとても綺麗で、花が大好きだった母にとってはとてもいい時期だったかもしれないな、と思った覚えがあります。

火葬場では空いた時間に昼食を取ることになりました。

火葬を執り行う斎場では食事が用意されないことになっていたため、買い出し部隊がいろいろなところに立ち寄り準備してくれました。その中に東筑軒のかしわめしも含まれており、迷わず私はかしわめしを選びました。

2019年11月に東京で行われたKitaQフェス(兼パブリックビューイング)の時以来のかしわめし、ということになります。

一緒にかしわめし食べるのもミクスタ行くのも、どっちも叶わんかったね。そこは少しだけ悔いが残ります。

火葬と納骨も終わったところで、再び葬儀場に戻り十日祭(神葬なので)をあわせて行うことに。ちなみに、始まるまでの待ち時間になんとなくスマホを覗くとスポナビアプリの通知でギラヴァンツ北九州がFC今治に対し前半で2点リードであることがわかり、思わず小さくガッツポーズをしてしまいました…(笑)

一段落付いた段階で、きょうだいたちは一旦実家に集まることに。葬儀は一通り終わりましたが、これからは諸手続きを色々済ませなければなりませんので、それらの段取りをきょうだいで軽く話し合い、詳細はまた改めて明日以降詰めていこう、ということになりました。

というわけで、みんなが集まっていた実家には福岡市に住む一番上の姉と私のみが残り、それ以外のきょうだいは自分たちの家に戻ってひとまず解散。

この日は前日あまり寝れなかったということもあり、早い段階で寝床につくことになりましたね。眠かったです。

そんなこんなで、帰省2日目が終了しました。

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