TheBazaarExpress118、『ペテン師と天才~佐村河内事件の全貌』、9章、2つの三角形の完成、障害児とのかかわり

・お仕事は作曲家です

「はじめまして。佐村河内守といいます。守さんのお仕事は作曲家です。一緒に送ったDVDを見てくださいね」

2009年の初夏のこと。習志野市に住む大久保家に、一通の手紙が届いた。宛て先は、小学校3年生の長女、みっくんになっている。大きな封筒には、何枚かのDVDも入っていた。手紙はこう続いていた。

「守さんはみっくんだけのピアノ曲『左手のためのピアノ曲』を作曲してみっくんにプレゼントしたいです。世界でただひとつだけの、みっくんのためのピアノ曲です」

突然届いた知らない人からの手紙に、みっくんと両親は困惑した。

―――なぜ我が家にこの手紙が届いたのだろう。

その理由は、同封されていた両親宛の手紙に書かれていた。

「作曲家兼ピアニストの自分から見ると、自分の意志で義手の指が動かせたとしても、お客様が感動するようなピアノの演奏をするのは難しいのではないかと思います。だったらわたしが、みっくんのために左手だけのためのピアノ曲をつくってプレゼントします」

先天性四肢障害を持つみっくんは、その年の6月に、『夢の扉』というテレビ番組に出演していた。番組の中で、大学の先生が作ってくれた5本の指がばらばらに動く新しい義手をつけてピアノの演奏に挑戦した。

本来みっくんが習っていたのはヴァイオリンで、ピアノは後から習うようになったものだった。けれど佐村河内は偶然その番組を見たので、みっくんはピアノを習っている子どもだと思って手紙を書いて近づいてきたのだ。

封筒に入ったDVDには、コンサートの様子とテレビ番組が録画されていた。

2008年9月1日に「G8議長サミット記念コンサート~広島から世界へのメッセージ」で、広島交響楽団によって演奏された「交響曲第一番HIROSHIMA」。

2008年日9月15日、その模様を中心に構成された筑紫哲也がキャスターを務める「NEWS23」(TBS)で流された「音をなくした作曲家、その闇と旋律」。

それらを見て、大久保家の4人は驚いた。

佐村河内は40代の作曲家で、「交響曲第一番HIROSHIMA」という曲や、たくさんのクラシック曲を書いている。それでいて30代の途中から耳が聴こえなくなってしまった聴覚障害者だという。番組の中では「現代のベートーヴェン」と紹介されていた。

佐村河内はここでも、テレビ番組という「権威」を纏って嘘を語ったのだ。

だがそんなからくりは大久保家にはわからない。DVDを見たみっくんは素直に、「耳が聴こえないのにこんな難しい曲を作曲するなんてすごい!」と思った。ヴァイオリンは4歳から始めてすでに5年以上習っていただけに、その曲のスケールや難しさを感じ取ることができた。

みっくんたち一家はさっそく連絡を取り、佐村河内と会ってみることにした。

2009年の夏といえば、佐村河内は広島で、「レクイエム・ヒロシマ」と名付けた合唱曲を100名を越える児童生徒で合唱するという大イヴェントを企画していた。

実はその前年、佐村河内はこの合唱を「広島合唱連盟」に依頼していた。だが100名規模の合唱は難しいと断りの手紙がきた。その時助け船を出したのが、佐村河内の五日市南小学校時代の恩師だった。彼の働きかけで、市内の3つの児童合唱団と2つの高校合唱団が参加。約100人の合唱団の歌声により、この曲は原爆公園で披露された。

その時取材に入ったテレビ新広島のカメラの前で、佐村河内はこう語っている。

「若い世代の音楽で次の世代に、原爆の悲惨さや核兵器廃絶とかを訴えていこうという人間なので、言葉ではなく声、人の声で祈りをと思っています」

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