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「避難」という行動の困難

令和2年7月豪雨の災害に関連して球磨川流域を訪問し、あらためて、災害が発生するエリアに住み続ける「ふるさと観」について考えているところだ。

このことについて、あるレポートが大きな参考となる。
アメリカのジャーナリスト、アマンダ・リプリー(Amanda Ripley)は、災害、テロ、事故の生存者や遺族に多くのインタビューを成功させ、そこから危機状況下の人間の状態を3つの段階に分けて説明することにトライした。

3つの段階というのは「否認」「思考」「決定的瞬間」だ。

「否認」

2001年9月11日、世界貿易センタービルが倒壊し、2600名以上が被害者となった世界同時多発テロ。
アマンダ・リプリーはこの惨事を例に挙げ、災害時の「否認」について語っている。
ここで取り上げられたカナダの研究者の論文には、
「火災時における実際の人間の行動は、”パニック”になるという筋書きとはいくぶん異なっている。一様に見られるのは、のろい反応である」

「人々は火事の間、よく無関心な態度をとり、知らないふりをしたり、なかなか反応しなかったりした」

と述べられている。
これが、目の前に差し迫った、自身の身に起ころうとしている惨事への反応「否認」だ。

「思考」

1977年5月28日の夜、21歳の女性がビバリーヒルズ・サパークラブでの結婚式のため、ウエディング・ドレスを着てそこにいた。
200人近くの近くの祝い客が階下に集まっていた。
そこで火災が発生し、55人が命を失った。
この災害現場で、「集団思考」が避難を阻害した。
アマンダ・リプリーは、
”世間一般の予想に反して、実際の災害では次のようなことが起こる。災害現場でも文明社会は持続しており、人々は可能なときはいつも集団で動き、通常よりもずっと礼儀正しい。お互いに助け合い、ヒエラルキーを維持する”
と述べた。

このような集団思考が、とっさの判断と適切な避難を阻害する。

東日本大震災を思い起こす。
この点について、大川小学校の津波被害を思い出す。
別の機会に述べたい。

「決定的瞬間」

ここでは、イスラム教徒が聖地メッカへと旅する儀式的行事、”ハッジ”において、幾度も発生している巡礼者の「圧死」について述べられている。
この集団行動に危険はつきまとっていることを覚悟しながら、巡礼者は旅をし、事故が発生するたびに数百人が犠牲となってきた。
祈りを捧げるために旅をする巡礼者たちが、何を機に暴徒になるという「決定的瞬間」が訪れるのかと、筆者は問うている。
実は、「暴徒」にはなっていない。
そこに「パニック」は存在しない。
人々は、生き残るための決定的瞬間、圧死を逃れるために人を踏み台にしてその場を逃れようと「していない」のだという。
これは、モラルで片付けられる問題ではないようだ。

これらのアマンダ・リプリーによる示唆は、日本における地震災害、豪雨の被害における避難行動や、あるいは子供が被害を受けた事件、事故についても、有効で有益な示唆に富んでいる。
このようなリサーチやレポートは、これからの避難行動のあり方を再考し、方法の再構築へと導いてくれる。
豪雨災害の頻発エリアにおける避難や、あるいは学校における避難訓練の方法についても。
あらためて整理しながら取り組んでいく価値がありそうだ。

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